投稿「東日本大震災から10年 保険医の視点から被災地の現状と課題を考える」


東日本大震災から10年

保険医の視点から被災地の現状と課題を考える

宮城県保険医協会顧問 北村 龍男

 大阪保険医雑誌から「保険医の視点から被災地の現状と課題を考える」のテーマで執筆依頼を受けた。この10年を振り返り、現状を改めて整理し、今後の課題を考える大変良い機会を与えられた。保団連・各協会の支援に感謝するとともに、被災地で起こったことを振り返り、起こっていることを考え、何故そのような状況が生まれたか、今後どう取り組むかを考える。思いつくままに書いたところ、依頼の字数を超えてしまい、大阪保険医雑誌への投稿では伝えられない部分もあったので内容を整理し、協会HPに投稿する。
 今コロナ禍が起こっている。東日本大震災の時も、今も医療従事者は奮闘している。多くの会員の先生方が発災直後から、救急患者を受け入れ、訪問診療患者宅を訪れ、避難所に出向いた。
 数日後から大阪協会を初めとする各協会、保団連が支援に入ってくれた。私は概算要求と言う言葉すら知らず、いろいろな対応について教えて貰い、物心両面での支援が大変役にたった。大阪府保険医協同組合からは、医薬品が寄せられ、希望する会員に配布し大いに喜ばれた。

1.被災者の現状 半壊・一部損壊、在宅被災者にも目を向けたい

 日常診療では、大震災の話はほとんど出なくなった。聞いてみると、一人一人はこころの中にしまい込んでいることがある。なるべく思い出さないようにしている人もおり、「その話は止めて」と言われることもある。
 大震災がキッカケで、認知症等疾病が悪化し、家族関係を含め人間関係が悪化し、今に至っている事例は少なくない。2事例を提示する。

(1)事例1:発災時60歳代、女性、夫・次男と同居、在宅被災者。
 避難所、仮設にいることは確認していた。自宅の被害は浸水。2011年10月から断続的に通院を再開していた。
 14年9月になり、夫の妹夫妻が相談に来院した。6月頃から食事の準備などの家事が出来なくなった、仏壇に花を上げない、長男が結婚することになったが理解できない、無気力。夫はがんで医療センターに入院していて、夫の妹夫妻が気づいた。本人に受診して貰ったところ、表情は以前と変わりなかったがHDS17点、脳CT検査等でアルツハイマー型認知症と診断し治療開始した。その後も受診時はニコニコしていた。来院に付き添う同居の次男は引きこもりで無口であり、家庭での状態が把握出来なかった。
 15年1月、勧めていた介護保険申請にこぎ着けた。HDS低下、円背・腰の曲がりが進行した。17年2月には食欲が低下した。
 17年5月、「足の痛み訴え動かない」と連絡あり往診。偽痛風、脱水であった。このとき初めて自宅を訪れたが、自室は窓にビニールシートを貼り、風通しはない。布団はしきっぱなし、一部排泄物で汚れていた。床から150㎝位の壁に線があり、確認すると津波の痕であった。
 17年11月、外来で笑顔が消え、怒りの表情を見せ、元々口数の少ない人であったが返事もしなくなり、看護師を睨むようになった。
 18年1月サービス担当者会議を開催した。家族の参加は県北在住の長男であった。検討したことは、入浴拒否、失禁しても更衣しない、夫に対し攻撃的で、近寄らせないなど。主たる介護者は次男で、更衣の用意・指示をする、食事はパンなどを用意するが、それ以上は期待出来ない。会議では週3回デイサービスで、入浴・食事を利用することとなった。
 その後、徘徊あり。警察のお世話になるなどで、地域ケア会議でも検討された。
 18年7月、吐物の中に凝血があり、総合病院に救急搬送した。出血性胃潰瘍があったが、暴言・暴力・拒食等のため総合病院の急性期病棟での入院継続出来ず、療養病床のある病院に転院した。
 困難な家庭環境で、在宅被災者のため支援利用が十分でなかった。困難な家庭環境の事例を考えると罹災証明などの申請主義は見直す必要がある。
 サービス担当者会議、地域ケア会議が介護方針作成に重要な役割を果たした。

事例2:発災時60歳代の夫妻、二人暮らし、在宅被災者。
 発災時当院通院歴はない。津波により1階部分の被害は大きく、平屋で建て替えた。
 妻は、2018年7月9日不眠、頭重で初診。心配事は3年前に、息子が夫と衝突し家を出て行き、電話をかけても応じてくれない、返事がないこと。一番の希望は、「お父さん」が静かになってくれること。先々どうなるかと不安がいっぱい。当院には頭重で頻回に受診した。他に、それぞれ複数の精神科、整形外科、内科を受診していた。その都度別々の薬局から薬を貰っており、実際の服薬は確認出来なかった。排便がないと腹痛を訴え、救急外来に救急車或いは夫の車で受診していた。
 夫は、脳梗塞後、左大腿骨骨折手術後、大腸癌術後、胆管結石術後であった。糖尿病もあるが、近くのクリニックに断続的に受診、薬だけを貰ってきていた。暴言を吐き、杖を振り回すことが妻の悩みであった。怒りの爆発週1回位。但し、妻を打つことはなかった。妻の当院通院に伴い、当院通院を開始した。その後、夫の運転を止める、継続的診療を行うため夫妻とも訪問診療を開始した。
 繰り返しサービス担当者会議を開催している。検討事項は以下の通り。夫について:診療拒否、サービス拒否、イライラすると杖を振り回す、車の運転。妻について:不安、ドクターショッピング、その都度薬局もかわる。食事が取れない、便秘・嘔吐の訴えを繰り返す。
 19年11月下旬、たまたま四国在住の長女夫妻が仙台に来て、夫妻の状態に驚き病状を聞きに来院した。19年12月初め、夫の尿閉、腹痛で往診し、導尿に失敗し総合病院に搬送し、導尿をしていただいた。在宅での導尿は無理との判断で翌日、療養病床に転院、妻も同時に入院した。入院翌日に夫は転倒により左大腿骨骨折し総合病院に戻った。息子は「歩かれては困る」と手術を断った。20年1月下旬、退院し施設に入所。20年夏、肺炎で亡くなった。息子が仙台に転勤し、母親との同居には同意した。
 20年1月中旬、娘が4ヶ月の介護休暇をとり仙台に来た。娘の細やかな対応で、妻の食欲は回復。20年2月初旬、サービス担当者会議を開催。息子による自宅での介護は困難のため、娘の介護休暇の間に妻の施設入所に向け段取りすることを確認した。20年4月上旬、夫とは別の施設に入所申し込み、4月下旬入所した。 
 この事例では、夫妻の介護方針を決めてゆく上でサービス担当者会議が重要な役割を果たした。
 困難の原因の一つに精神的身体的疾病が関わっており、主治医がサービス担当者会議に 参加することが重要である。サービス担当者会議議に主治医が参加することは多くはない。主治医がこれらの会議に関わるためには主治医からケアマネージャーに積極的連絡をとり関わることが必要である。

(2)宮城県の被災者健康調査
東北大グループの調査報告

 東北大グループは宮城県と協力し、被災者支援の一環として、震災後から仮設住宅入居者(プレハブ仮設住宅及びみなし仮設住宅入居者)の健康状態を調査してきた。また、災害公営住宅への転居後も調査を続け、東北大グループは日本公衆衛生誌に11年度から17年度の調査結果を発表している。調査年度が進むにつれて主観的健康観の悪い人(以下、健康観悪化者)の割合に減少傾向が見られる。グループは、全体としては健康感悪化者の割合は減少傾向にあるが、高齢者が多く住む災害公営住宅では健康感悪化者が多く、自治体やコミュニティを中心とした見守り体制の構築、入居者が社会参加を通じて健康状態を維持・推進出来るようなコミュニティづくりを引き続き進めていく必要があるとしている。〈草間太郎、他:日本公衆衛生誌、第65巻第1号26頁、2020年〉
 この調査は、被災者の健康状態を把握し、地域での対策を考える上でも継続が必要である。
 公衆衛生誌の論文で、16年度と17年度を比較すると3つのグループのいずれでも、健康感悪化者の割合がわずかだが増えている。加齢によるのか、新たな状況があるのか、見つめてゆく必要があろう。
宮城県の災害公営住宅での健康調査打ち切り

 河北新報によると、宮城県は災害公営住宅での健康調査を10年で打ち切った。この健康調査は11年度に始め、一部自治体は継続を望むが県の主導する形での調査は終了する。19年度は災害公営住宅で生活する沿岸7市町村の5769世帯が回答した。19年度の調査では不安やうつ状態に関する全般的精神健康状態(K6)の問いで、深刻な問題が発生している可能性のある「13点以上」の割合が7.6%と国民一般の4.3%を上回った。65歳以上の高齢者の一人暮らしでは34.5%に上る。(K6:2002年Kessler等が開発したうつ病・不安障害などの精神疾患の可能性がある人を見いだす一般住民を対象とした調査手法)
 石巻市は21年度も独自に調査を実施する方向で検討している。「19年度の調査で被災者の行事参加率や体を動かす機会が減ったことが分かった。新型コロナウイルスの影響でさらに悪化している恐れがある」とフォローの必要性を指摘している。
 仙台市も続ける意向だ。「年数が経ち、集合住宅で孤立感を深めたり健康状態が崩れたりするケースもあり得る」と懸念する。〈河北新報、2020年12月10日〉
 宮城県と東北大グループの調査は、10年を経過したが高齢者の多い災害公営住宅では 健康感悪化者が多いと指摘している、引き続き健康に目を向けた取り組みが必要である。
 この調査では、在宅被災者は対象になっていない。在宅になったのにはいろいろな事情 があり、いろいろな困難を抱えている。在宅被災者へも眼を向けることが必要である。
 20年度末で国の「復興・創生期間」が終わり、被災者支援の財源は先細りし、各自治 体は通常の保険事業による見守りに切り替えれる。国の継続的な取り組みを求める。

追)災害ケースマネジメント
 仙台市では2014年春から「被災者生活再建推進プログラム」に基づく支援を開始した。応急仮設住宅入居者への「各世帯への支援」とプレハブ仮設・復興公営住宅への「コミュニティ支援」の二つの柱であった。15年からは「被災者生活再建加速プログラム」を恒久住宅への移行と生活再建支援にウエートを置いて支援を行った。仙台市のこの取り組みの特徴は、世帯毎に支援メニューを「オーダーメイド」的に支援計画を作成したことである。重要で高く評価される取り組みである。仙台市における「災害ケースマネジメント」は対象が「仮設住宅入居者」で「在宅被災者」が制度の視野に入っていなかったため、仮設住宅解消により、「各世帯への支援」は実質的に終了した。(注、19年3月末仙台市は「被災者生活再建支援室」を廃止した。)
 しかし、仙台市では、被災した家屋に対する固定資産税軽減措置に関する調査の結果、被災した住宅約1万棟のうち、約5100棟が「未修理」、約4400棟が「一部修繕済み」と回答し、「修繕済み」・「解体済み」は計約330棟だけであった。〈2019年4月20日河北新報〉
 これら被災住宅に住む人の80%は「半壊」判定であり、修理には応急修理支援制度と義援金ではまかなえず、多くの人々が不十分な修理状態で居住せざるを得ない状況にあることを示している。
 鳥取県では宮城の新聞記事をみた知事の指示で取り組みを開始した。2018年鳥取県は全国で初めて災害ケースマネージメントを恒久制度化した。鳥取は全ての被災者(一部損壊を含む)に支援することになっている。これは大変重要な観点である。〈みやぎ県民センターニュースレター65号(2020.8.5)〉
 震災後10年経ったが、被災者の住宅は未だ復旧していない。支援が必要である。半壊 ・一部損壊、在宅被災者にまで支援を広げる必要がある。
 災害に当たってもケースマネジメントが重要である。それなしには、災害からの復興に 取り残される被災者が出てくる。

2.10年を振り返り被災地に起こったこと

(1)医療費一部負担金免除
要件の変遷とその影響

 宮城県における一部負担金免除要件の変遷は以下の通りである。
 2011年6月まで。窓口での申請により免除対象となった。
 11年7月以降は、1)全壊、大規模半壊、半壊、2)生計維持者に収入なしなどの要件となり、申請し確認された被災者が対象となった。
 国は12年3月以降の継続は保険者の判断に委ね、多くの社保で継続を取りやめた。
 国は特例措置による免除を12年9月で止め、国保、後期高齢者広域連合は国保四四条などの災害措置で継続した。この措置では、一部負担金のうち被災自治体(県または市町村)が2割を負担する。被災自治体には大きな負担となった。
 13年4月から、宮城県は免除継続を取りやめ、市町村・広域連合も継続を取りやめた。
 被災者をはじめとする免除再開を求める声に押され、14年4月以降免除は再開されたが、要件は、1)全壊、大規模半壊、2)非課税世帯と限定的となった。非課税が要件に加わったために、前年収入あり課税世帯となった場合8月以降免除が止められた。なお、免除要件の収入の中には、家屋が津波で流され市町村に買い上げられた土地の代金が含まれていた。生活再建を目指す被災者には大きな負担となった。
 16年4月以降、県は免除継続を取りやめ、免除継続は9市町村に止まった。免除継続した市町村は負担金の2割を負担することになった。
 当院の免除者数の変化は下のグラフのとおりで、11年7月~12月9月には279名であったが、免除要件が厳しくなった15年8月~16年3月の時期には45名となっていた。〈北村龍男、日臨内、33巻5号P789、2017年〉
 免除廃止がもたらしたもの、①免除対象であった人々に、不安・混乱・怒り、②受診抑 制、一層の困窮、③国保と社保の対応の違いは、県民の間に分断。免除継続者に対する バッシングもみられ、岩手・福島の免除継続による不公平感。
 一部負担金免除が受診抑制をもたらすことが明らかになり、窓口負担金「ゼロ」の運動 の必要性を強く感じさせた。それが本来の社会保障でないか。

事例:発災時ともに60歳代夫妻、津波で自宅は全壊、災害公営住宅在住
 夫は、高血圧、消化器疾患、うつ病、腰部脊柱管狭窄症等で震災後4カ所に通院していた。妻は黄斑変性症、不眠症、うつ病で2カ所に通院していた。お二人とも不眠とイライラを訴え、夫は仮設のパイプベットで体の痛み、夜間頻尿、食欲低下を訴えていた。妻は仮設住宅では隣人の干渉があり、外に出ないようにしていると訴えていた。
 当院受診のきっかけは、2013年に津波被災地であった土地が仙台市に買い取られ、そのため課税対象となり、一部負担金免除は打ち切られ、計六カ所へ通院の医療費・交通費の負担は大きく、当院でまとめて診療して欲しいと言うものであった。夫は災害公営住宅に移った後に、脳出血で急逝した。妻は地域包括支援センターの支援で過ごしている。出かける気になれずデイサービス利用もままならない状態が続いていた。
 津波被災地の土地売却の収入を課税対象とすること、それを理由に一部負担金免除を取り消したことはあまりにも残酷である。
 現在、被災者の中で大きな問題になっているのは、住宅問題である。特に、災害公営住宅の家賃問題である。医療費はあまり問題になっていない。これは不十分とはいえ、皆保険制度があるためと推測する。
 同時に、免除取りやめ直前の駆け込み受診やアンケートの結果は、一部負担金免除は負担金「ゼロ」であることが必要であることを示した。75歳以上の窓口負担金を1割から2割にすることが決まったが、震災時の教訓に逆行するものである。

(2)被災民間医療機関復旧・復興のための取り組み
地域医療再生事業(緊急的医療機能回復分)補助金

 協会は民間医療機関への補助金を要望した。2011年9月当時、県内医療機関の被害額は333億円、うち民間医療機関の被害額は126億円とされていた。
 各種の支援制度があったが、地域医療再生事業補助金について取りあげる。11年実績は15億円で、病院・診療所110件、11億2130万円、歯科診療所76件、2億7725万8千円、薬局63件、5002万9千円であった。2012年度は3億5800万円が予算化された。
 尚、半壊の場合は対象が津波の浸水地域に限られた。〈宮城保険医新聞、12年8月25日〉
協会アンケートにみる各種補助金の効果
 協会のアンケート調査(13年実施)では、各種補助金を申請した会員の再開にかかった費用の、交付された額が占める割合は25%以下との回答が約半数に上っていた。補助金が不十分で、要件が厳しく、補助金制度が十分に周知されなかったためである。診療再開が出来ても、診療体制が「戻っている」との回答は65%で、従業員不足、患者数減少が医療機関に重くのしかかっていた。〈協会被災民間医療機関に対する補助金に関する要望書、2014年1月31日〉
医療機関再建のための共同アピール
 共同アピールは、2011年7月14日、11年11月7日、12年12月4日の3回出した。
 第一次アピール(呼びかけ人15名)は、県内医療機関の院長先生に送付し賛同を募り、賛同者405名(呼びかけ人を含む)であった。第一次アピールの要望項目(要旨)は、①災害復旧費補助金の対象とならない民間医療機関に対する補助事業の実施、②医療施設近代化施設整備事業、医療施設災害復旧費補助金の対象に、災害救助法で指定された地域に存在する全ての民間医療機関を追加すること。
 第二次アピール(呼びかけ人18名)の要望項目(要旨)は①災害復旧関係の補助金は、震災前と同程度の診療再開に必要な補助を求める、②災害復旧補助金の申請には「現地復旧」について、現状に合わせるよう条件の緩和を求める、③医療設備近代化設備等の申請は公民の区別なく活用出来るよう柔軟な対応を求める、他計7項目。
 第三次協働アピール(呼びかけ人10名、賛同者は呼びかけ人を含め55名)の要望項目(要旨)は、①復興予算を被災地の直接支援に使うこと、②被災地復興と無縁の予算を返上、③被災地の医療費一部負担金免除を保険の種類にかかわらず、国の責任で行う、④公民格差を是正し、被災民間医療機関への公的補助を拡充すること。
 使い切れない復興予算が1兆2000億円〈各紙報道、2013.5.26〉
 保険医協会は3回の共同アピール発信の事務局的役割を果たした。これまで経験のない県内医療機関との共同であった。特に第1回アピールは県内405医療機関の賛同を得ており、これまでにない取り組みであった。

(3)地域包括ケアシステムについて
 2012年8月社会保障改革推進法が成立し、その中で地域包括ケアシステムは重要な位置づけがされている。保団連では、地域包括ケアシステムの見解を発表している。問題のあるシステムであるが、震災後このシステムを被災者のために生かすことは重要な課題であった。

多職種連携での自主的な取り組み
①KNOAH(気仙沼network of all homecare) 

 宮城協会会員である村岡正明先生を中心とした取り組み。村岡先生は大震災で診療所を津波に襲われ診療所は全壊した。震災直後は避難所で診療活動に従事した。気仙沼の在宅療養支援隊の活動を通じて、有志で2012年11月から「気仙沼在宅ワーキンググループ」と名付けた勉強会を始めた。14年7月からKNOAHとした。
 気仙沼では、医師会などの提案で気仙沼地区地域医療委員会内に専門委員会「気仙沼・南三陸地域医療福祉推進委員会」が設置された。KNOAHは同委員会内に設置された在宅療養システム部会として位置づけられた。KNOAHは、自由な意見が述べられ、その意見がオフィシャルな組織に届くと評価されている。これは多職種連携の基本である。これらの活動は、医療機関とケアマネジャーの連携連絡票や入院時情報提供の手引き棟の連携ツールの作成につながっている。
 コロナ禍のため、20年3月以降は月1回の集まりは休止している。この間育んだ連携が、コロナワクチン接種で大きな役割を果たしている。〈北村龍男:気仙沼の『ゆるーい関係の在宅医療』、協会HP,2015年4月15日〉
②男の介護教室
 「男の介護教室」の代表は、当協会地域医療部員で、大震災後被災地の歯科医療を再建し、障がい児・者の役に立ちたいと石巻市雄勝町に赴任した河瀬聡一朗先生である。要介護の妻や親を震災後の自宅に迎えた男性は、家事・介護の知識やスキルもなく、途方にくれるばかりであった。「食に係わる歯科医師としてなんとかしなければ」とケアマネジャー等と「男の介護教室」を立ち上げた。
 「全国的に男性介護者は増加している。大切なのは、男性介護者を地域から孤立させないことである。そのためには教室に参加して貰うこと」「男性介護者の実情をもっと知って、もっと考えて貰いたい。思いだけでは運営は困難で、財政上の問題があるかもしれないが、このような教室の取り組みが全国に広がって行くことが、地域包括ケアの末端を支えることにつながるのではないかと思っていいる」「男の介護教室がきっかけになって地域コミュニティの活動が活発になってくれれば」と代表は語っている。〈内閣府、令和元年 男女共同参画白書〉
③女川町における取り組み
 女川町の木村裕先生の取り組みを紹介する。「震災以前は地方の一歯科医として疾患の治療に専念していましたが、現在は乳幼児から高齢者までの歯科保健事業に関わり、単に治療だけでなく、予防や口腔衛生の重要性を今更ながら実感した次第です。また、この震災の経験で、歯科医師一人では出来ることが限られ、スタッフや行政、地方住民の方々の協力が得られてはじめて仕事が成り立つことを思い知らされました」「女川町は超高齢化社会を迎え、介護の問題等、問題は山積みですが、これまでの経験を活かし、女川町の保健事業を通じ、よりよい未来を目指して、少しでも町民の方々の健康維持に貢献できればと思っています。」〈女川町での東日本大震災後の歯科医療の復興を振り返って、宮城保険医新聞、21.5.25〉
 地域包括ケアシステムを活用し、連携を発展させ持続的に恒常的な仕組みを作ることは 地域医療を発展させる上で重要である。これらの取り組みについては、医師会・歯科医 師会も高く評価し、支援している。

地域包括ケアシステム活かし、困難事例に取り組む
 先に紹介した3事例の様な困難事例は、医師・歯科医師だけの取り組みでは、対応の方向を見いだせない。紹介の中で触れたように、ケアマネージャーの主催するサービス担当者会議、地域包括支援センターが開催する地域ケア会議が力を発揮する。
 これらの会議への医師・歯科医師の参加は現状では限られている。地域包括ケアシステムの中では、医師・歯科医師の参加は必須の条件とされていない。また、多忙な医師・歯科医師にたいし、地域包括支援センター、ケアマネージャーの遠慮もみえる。医師・歯科医師から積極的に働きかけることが必要である。
 もともと地域包括ケアシステムは、保健所の減数・役割変更のもとで、公的な医療・福 祉の役割を削減するために作った制度である。しかしながら現状ではこのシステムを活 かすことは重要である。このシステムの問題として医師・歯科医師にとって費用負担が されていないことも、参加を難しくしている。診療報酬上の位置づけが必要である。
〈協会地域医療部:地域包括ケアシステムと医師・歯科医師の役割、協会HP、2020年8月3日〉

(4)医学部新設
 2013年12月5日、政府は「好循環実現のための経済政策」を発表した。この政策の中の復興まちづくりの項の中に「東北地方における復興のための医学部新設特別措置〈予算措置外〉がある。
 復興庁・文科省・厚労省は認可の目的として「震災からの復興、今後の超高齢化社会と東北地方における医師不足、原子力事故からの再生といった要請を踏まえ」「東北地方に1校に限定した医学部新設の認可を行うことを可能とする」としている。
 この政策の予算規模は合計18.6兆円で、競争力強化策が13.1兆円となっている。医学部新設は〈予算措置以外〉である。これは文科省医学教育課によると、2013年度補整予算、2014年度予算案には盛り込まないと言う意味である。それ以降については、「私学助成」による運営費の補助で対応するとしていた。
 東北地方における復興のための医学部新設は、国が予算措置し、東北全体の医療を担う医師を養成すべきで、本来国立とすべきであった。

(5)東北メディカルメガバンク
 この事業は2011年8月に宮城県復興計画に突然挿入された。しかし、この事業計画は震災前から検討されていた。「創造的復興」の名の下に国の事業を震災に便乗し被災地に押しつけたものである。宮城・岩手の被災住民を対象に、15万人規模のゲノムコホート(地域住民コホート、3世代コホート)を実施し、バイオバンクを構築し、遺伝子情報・診療情報をデータベース化し、創薬・予防医学・個別化医療に役立てる計画で、総事業費は約500億円であった。
 19年8月に地域住民コホート調査参加者約8万人の生体試料・情報の分譲を開始した。20年8月に約7万人分の3世代コホート調査の分譲を開始し、全てが様々な研究に利用されることになった。
 メガバンクはいくつかの調査結果「家の中の暑さ寒さが心理的苦痛に関係?~地域住民コホートの結果から~」「妊娠前からの葉酸サプリメント摂取状況(3世代コホート調査から)」などを報告している。それぞれ有用であるが、その調査費用に500億円は必要でない。
〈水戸部秀利:東北メディカルメガバンクを批判する、協会HP, 2014年9月11日〉
〈東北メディカルメガバンク機構ToMMo、HP〉
 被災者からは医療機関の復旧、医療・介護・心のケア等の要望はあったが、この様な事 業を要望していない。
 分譲先は製薬会社である。「創造的復興」に向かって着実に歩んでいる。分譲の負担は いくらであるかも明らかにする必要がある。復興予算が充てられているので、当然被災 地に報告すべきである。また、今後も引き続きこの事業をフォローしてゆく必要がある。

3.今、起こっていること

 大震災後10年を過ぎ、医療の分野で私たちが教訓とすべきは、新型コロナウイルス感染症で一層明確になったが、医療供給体制関の充実と保健所の充実である。
 しかし、今宮城で起こっていることは、国の進もうとする方向を先取りした病院・病床の削減・縮小、保健所の縮小である。

(1)3病院統廃合
 宮城県は2020年8月、県立がんセンター、仙台赤十字病院、東北労災病院の統合、移転構想を表明した。新型コロナウイルス感染症拡大で村井知事は同年12月に「期限を設けず、慎重に議論する」との方針に軌道修正した。
 県立がんセンター(381床)は、県のがん診療の中核的存在であり、がん医療のプロフェショナルを育成する中核施設である。仙台赤十字病院(400床)は、地域の中核病院であるとともに、ハイリスクな母体胎児、超低出生体重児を集中治療している。東北労災病院(548床)は、地域の中核病院として、特徴ある専門医療の提供を行い、アスベスト疾患への対応、研究を進めるなど、勤労者医療の充実に取り組んでいる。3病院(計1329床)は設置主体も、担う役割、立地地域も異なる。この統合は、かつてない規模の構想であり、県民への影響は計り知れない。
 19年9月の公立・公的病院の縮小合理化対象の病院名公表以降、県内での県北、県南での病床削減、再編の動きが加速している。「県立がんセンターあり方検討会議」の議事録は公表されておらず、議論の内容すら県民に明らかにされていない。
 このような状況での3病院の統廃合には同意できない。
 これらの動きの根底には、一体改革、社会保障制度改革、地域医療構想がある。医療削減・病床削減の一環である。

(2)保健所合併
 宮城県の保健所削減計画では、県は令和3年度に栗原保健所と登米保健所を支所化しようとしてきた。統廃合の中止の要求に対して、村井知事は「新型コロナウイルス感染症」対策を優先するため、令和4年4月以降に支所化する」と回答している。<天下県議の質問への回答>
 宮城県の2008年4月の宮城県地方機関再編の基本方針をみると県の意図がはっきりする。基本方針では、保健福祉事務所の再編の方向性として、「福祉部門は機能の広域事務所への集約化、さらに将来的に本庁一元化を目指します」としていた。保健福祉事務所の、環境公害部門執行体制強化のため、大崎保健所と栗原保健所、石巻保健所と登米保健所の組み合わせによる所管区域の広域化と仙台管内の塩竃保健所の黒川支所・岩沼支所の支所業務の集約化による執行体制の強化を進めるとしていた。〈宮城県地方機関再編の基本方針(概要版)、2008年4月〉
 保健所は減数と共に、その役割を変えられてきた。拡充・強化が必要である。

4.この10年の国の医療・福祉政策

(1)社会保障と税の一体改革
 東日本大震災と重なるのは、社会保障と税の一体改革(以下、一体改革)である。東日本大震災後、被災者の権利を護る取り組みは、社会保障・医療の分野では一体改革との対決の取り組みでもあった。
 一体改革の議論の始まりは、震災前の2009年3月31日に成立した平成21年度税制改正法である。段階的に消費税を含む税制の抜本的改革を行うため、平成23年度までに必要な措置を講ずるとされていた。
 野田政権の発足後11年年末から年初にかけて議論し、12年2月17日「社会保障・税一体改革大綱」が閣議決定され、法整備が進められた。
 その後、消費税は14年8%、10%への引き上げは15年には1年半延期、16年にはさらに2年半延期されたが、19年10月には10%に引き上げられた。
 一方、社会保障の分野では、15年には要支援を介護予防給付外し、一定以上の所得者に利用料を2割とする介護保険法改定。16年には紹介状なしで大病院受診の定額自己負担増、年金法改革。17年70歳以上の高額療養費の自己負担限度額引き上げ。18年65歳以上の現役並み所得者に介護保険利用料3割負担導入。これらの消費税増税、社会保障負担増は被災者には負担になり、復旧・復興の足かせになった。
 今国会では二つの医療関係法が成立した。医療制度改定一括法では「75歳以上の医療費窓口負担2割化」を導入することや国民健康保険の保険料(税)の値上げ圧力を自治体に加える内容を盛り込んでいる。医療法等改定には医師の長時間労働を容認し医師数の抑制を続けるための仕組みや、消費税を財源に病床削減を誘導する改悪を盛り込んでいる。
 住民の受領権を守る問題であり、国の社会保障と税の一体改革、社会保障制度改革推進法、地域医療構想と向き合い、国の方針の変換をもとめる必要がある。
 この十年を振り返ると、今切実に政治の転換が求められる。

(2)保健所減数、役割変更
 1994年保健所法が地域保健法に改められ保健所の統廃合が進んだ。1992年に852カ所あった保健所は2020年には469カ所と減少した。さらに保健所の役割は保健・福祉から環境問題等にシフトしている。減数と役割変更により、感染症に対する対応は困難になっていた。
 大震災でも、コロナ禍でも保健所への期待は大きい。それでも保健所を減らすことを検 討している。この点でも政治を変える必要が明らかになっている。

 この10年を振り返り、今後に活かしたいことをあげる。
 災害に当たっては、半壊・一部損壊を含めた被災者の復旧・復興を目指す。
一人一人、世帯毎の状態に寄り添うために、災害ケースマネジメントを行う。
 地域包括ケアシステムを活かす。そのためには医師・歯科医師の積極的な取り組み、他職種との連携、地域に目を向けた取り組み、個人・世帯に目を向けた取り組みが必要である。
 医療以外でも被災地には課題(女川原発再稼働、水道民営化など)が山積している。被災者・被災地を主体とした復旧・復興を目指す東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センターの役割は重要で活動の継続が必要である。
 東日本大震災からの復旧・復興の活動の教訓は、国の政策を変えることを求めている。

謝辞:多くの文献を引用、参考させて頂きました。〈 〉内に示しました。深謝します。

2021/08/14

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