シリーズ「女川原発廃炉への道」No,25


シリーズ「女川原発廃炉への道」

原発作業員の生の声 多くの人に読んで、考え、行動してほしい

理事 矢崎 とも子

 「高線量の建屋周りの作業には13~17㎏ある遮蔽ベストを着る。大きさも合わず立ったりしゃがんだりするだけでへとへとだ。最近は5㎏の軽いものが出来て助かっている。アスファルト舗装され、遮蔽のための鉄板で覆われた現場の体感気温は、30℃の外気温を優に超え、全面マスクの中に自分の汗が貯まってチャプチャプ音を立てて口に入ってくる」「震災後、以前は聞かれなかった原発の作業についてしつこく聞かれたり、退職を勧められたりで、家族と上手く行かない。補償金や避難先でもめて離婚した人も。狭い仮設でギスギスしている家庭もある。絆って何だろう」「東電を退職する人が後を絶たない。事故後精神的なバランスを崩しやめた人も少なくない。教えられた原発の知識も信念も根底から崩れた」「水素爆発後小学生の息子に『父ちゃん、行って闘って』と背中を押されて現場に戻った。月に一度しか家族の元に戻れないが、一緒に暮らして息子の成長を見守りたい。原発事故さえなければ。事故後、何度考えただろう。福島第一で働き続けたいが、仕事も半減。気持ちがなかなか保てない」「避難指示が解除されても周りは誰も帰ってこない。町はもう終わりかもしれない。ふざけるなと思うけれど、10年は長い」「3重癌に苦しんでいても、証言で自分の立場が不利になることを恐れたり、所在不明だったりして現場の証言が難しく労災認定を受けられていない」「全電源喪失で不眠不休の作業後すぐ現場に戻った。あの時どれだけ被ばくしたかわからない。俺だって死にたくないが地元の俺たちがやらないでどうすると気持ちを奮い立たせた。10年経って廃炉はまだ見えない。自分の代では無理だろう。若い衆に引き継ぐまで現場で頑張るぞ」
 こんな作業員の生も声を発信し続けている片山夏子東京新聞福島特別支局記者。「福島原発作業員日誌」(朝日新聞社版)や東京新聞の「ふくしま作業員日誌」の記事で、明かされることがほとんどない作業員の生の声を伝え続けている。震災も事故も過去のものにしようとしている、政府と東電の幹部に、現場の作業員たちがどんな思いで一日一日を過ごしているか。多くの人に読んで、考え、行動してほしい。

 

本稿は宮城保険医新聞2021年12月15日(1769)号に掲載しました。

This entry was posted in 公害環境対策部, 女川原発再稼働関連. Bookmark the permalink.

Comments are closed.