東日本大震災のよりよき復興のために 塩崎 賢明 氏 講演要録


2011年5月29日に行われた「東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター」設立のつどいで行われた神戸大学大学院工学研究科教授・工学博士、兵庫県震災復興研究センター代表理事 塩崎賢明氏の記念講演の要旨を紹介します。(文責 宮城県保険医協会事務局)

東日本大震災のよりよき復興のために

「創造的復興」がもたらす光と影ー阪神大震災の経験から

復興を考える場合に最も気になることは、「創造的復興」という言葉です。復興とはどのようなことか。非常に単純なことで被災者の生活を再建すること、被災地が再興することが最大の目的です。被災者が少なくとも地震の前の日ぐらいまでの水準に戻らないと復興とは言えません。それに対し政府の復興構想会議では、「単なる復興ではなく『創造的復興』だ」ということをまず挙げました。
「創造的復興」は魅力的な言葉ですが、中身は結構問題があります。この言葉は阪神大震災(以下「阪神」)のときも使われた言葉です。そこで、阪神の時の一番の旗印だった創造的復興がどのようなものだったか紹介します。結論は、「創造的復興」が光と影をもたらすものだったということです。皆が震災前の生活をまず取り戻し、そこからプラス10%ないし20%に到達したのかというとそうではありませんでした。
前より大規模なものも作りましたが、前の生活も取り戻せないまま亡くなっていった人や、打ちひしがれている人がいるというのが結論です。

復興災害による泥沼の現状

良いところと悪いところがあったわけです。例えばインフラは早期に復旧し、倒壊した高速道路もすぐに建て直しました。しかし、同じ高速道路でも韓国では老朽化という理由で撤去し、その敷地をプロムナードにして観光地にしました。これと比べると高速道路はそこまで魅力的なものではないと思います。
多くのプロジェクトも行いました。新長田の再開発がそれです。木造住宅商店と工業地帯だった場所に高層ビル40棟ほどを建てる計画を立てましたが、未だに建設途中です。問題はまったく人が利用しないこと。一度もシャッターが開いたことのないビルがいくつもあります。空き床を売ってそのお金で事業費を回収するというのが再開発の仕組みですが、地元の人が何千万円も払って購入したものを、現在は賃貸にしています。賃貸だと、借りて客足が悪いとすぐ引き払うことができます。年間3億円あまりの共益費を軽減するために賃料のダンピングもしています。この影響で不動産の価値がつかなくなりました。そのため、地元の人は廃業しようと思い店を売ろうとしても買い手がいません。倒産すらできず、税金と共益費は毎年かかるという悪循環です。

被災者の生活再建として応急仮設住宅や復興公営住宅があります。これの問題は被災地域から離れたところに作ったこと、抽選で決められたこと、です。隣近所は見ず知らずの者同士のため、生活は全く楽しくありません。その最悪の結果が孤独死です。16年間で914人の方が亡くなっています。この孤独死を防ぐために多くの区画整理事業にも取り組みました。やって良かったところもありましたが、地元の人が他に移ってしまい、人口が回復しないところも残っています。私はこのような復興の過程で起こる様々な問題を復興災害と呼んでいます。復興することによって後から災難が降りかかってくるのです。これは10年、15年と続く大変な問題です。

したがって「創造的復興」は止めた方がいいと思います。本当の意味で創造的ならいいですが、「創造的復興」と言いながらこのような被災者の生活と何も関係のない事業を行うためにお金がたくさん使われていくのは問題です。政府の復興は震災前の水準より高くするということでしたが、実際にはそうはいきませんでした。震災前の水準以上になった人もいましたが、以下になった人もいます。そのような幅があるのが「創造的復興」の実態です。

東日本大震災の復興

 さて東日本の復興ですが、通常は避難→仮設居住→本格復興という段階を踏んで進められていくと思います。現在は避難から仮設に移行する途中の段階です。このような段階を踏んで復興していくときに重要なのは、被災者それぞれの方向性を迅速に示していくことだと思います。当面困難でも半年先、1年先の見通しが得られたら、前向きに考えられるからです。しかしながら、それが示されていないというのが現状です。行政はそこに本格的に着手すべきです。
今回の場合は、原発事故を含めた県外避難をどうしていくのかということが非常に大事です。阪神のときは避難の規模がわからないままでした。それを把握しようとすらしない自治体もありました。避難場所が遠くなるほど仮設住宅に入居できる機会や公営住宅への応募などの情報が得られなくなります。自分の住んでいた地域がどうなっているのかもわからなくなります。送り出した側も受け入れた側も被災者カルテのようなものを作って一人一人に対してきちんとしたケアを施す、情報を伝えることが必要です。


応急仮設住宅から恒久住宅への連続復興

応急仮設住宅の建設に取りかかっていますが、今回、従来よりも多少前進していると感じたことは、木造仮設住宅が作られたことです。木造の仮設住宅は、冬は暖かく夏は涼しいという長所があります。鉄骨系プレハブのものは、冷暖房費が非常にかかるうえ、それにより体調を崩す恐れもあります。
今回、木造仮設住宅は岩手県で震災直後63戸建設され、福島県では3500戸発注されました。阪神のときに比べると大きな前進だと思います。岩手県や福島県の担当者によるとこれを移築、増築して本格住宅に転用しようと考えているようです。なかなか良い考えだと思います。
私は応急仮設住宅を早期に建てるべきだと思いますが、被災者自身が住む場所を選ぶというのを基本にして、それを資金面も含め応援するのが理想です。仮設住宅で復興災害を出してはなりません。孤独死を防止するようなケア付き仮設住宅も大事ですが、介護サービスがかなり停滞しているようです。介護保険の事業というのは民間が行っているので、民間の事業者自身が震災で被害を受け、被災者に対して自分たちで介護ができるような状態ではなくなっているのです。それに比べ公立のものがある医療はまだ良いと思います。介護保険の事業はすべて民間のため利益重視であり、スタッフもいないという状況です。このままでは震災後の関連死や復興災害の起こるリスクは高くなります。

仮設住宅の次は本格住宅、恒久住宅が必要になりますが、これは連続的に展開するべきだと考えます。先ほど3つの段階を挙げましたが、その都度抽選でどこに移住するのかわからないという状態はなくすべきです。つまり、自分がもともと住んでいた場所の近くで、連続的に復興していく、抽選が何回もあってどこに行くのかわからないというのは避けるということです。
そのための方法の一つは自力仮設住宅です。そしてそこに資金を投入するというのが最善の方法だと思います。阪神のときは約5000戸の自力仮設住宅がありましたが、この方々に資金援助はなく、平均900万円ほどの資金がかかりました。応急仮設住宅は約400万円ですが、それだけかけても2年間で撤去するため非常に無駄です。それよりも400万円を現金で支給した方が望ましいと思います。しかし今はそこに支援の手が回っていない状態です。私は被災者生活再建支援法がそれを改善するものと思います。阪神の3年後に成立したもので、全壊の被災者には最高300万円まで支給されるようになりました。
しかし、大規模半壊以下、一部損壊、事業用の建物には支給されないなど様々な制限があります。また金額自体もあまり高いとは言えません。自民党も公明党も適用枠の拡大と増額に賛成しているので、改正の可能性もありますし、それをやらなければならないと思います。さらにそれに各県が上乗せする、義援金を加えるべきです。能登半島沖地震の場合は地震の後に早期適用されたのですが、国からの300万円に加え、石川県や各団体の義援金により合計770万円まで支給されました。これだけの資金があれば自力で住宅を建てることが可能です。

ローコスト住宅というものもあります。非常に安い価格の工務店を利用して建てる方法です。中越沖地震のときの例ですが、50平米の住宅を550万円で建てる業者がありました。またリバースモーゲッジといって土地を担保にお金を貸し付け、借り主が亡くなったら担保である土地を県のものにするということで相殺するという貸し付け制度もあります。
自力で連続復興していく住宅再建についてはこのような自力仮設住宅を増改築していくとか木造仮設住宅移築再利用するとか、あるいはローコスト住宅を使うなどの方法があります。応急仮設住宅から抽選で復興公営住宅に移住させ、被災者をばらばらにするやり方はやはり避けるべきだと思います。

 

復興のまちづくり・村づくりは住民の合意で

 最後に復興のまちづくり、村づくりの問題です。津波により壊滅的な被害を受けた場所で、もう一度町を作るのかというのは非常に悩ましいことです。そこで住宅は高台にという考えは非常に分かりやすいのですが、それは容易なことではないです。それぞれ事情があり、その土地により条件が異なりますので、私は基本的に上から押しつけるようなやり方は後世に禍根を残すと思います。地元の人が自分たちでよく相談して、決断をする以外にないのです。今問題なのは、そのような相談の場がなかなか作れないということと、そのための支援もされていないということです。阪神のときは大学やコンサルタントがそういう場を設け、知識を共有することで議論をサポートすることができました。そのような作業は絶対必要です。特に岩手県のある場所を見ると、町村合併で大きな市の名前になっていますが、そこの集落は元々明治時代の旧村のままです。
大学などもなくコンサルタントもいないので、情報の共有はなされていないのではないかと思います。このような仕組みを作るというのは復興に対して非常に重要です。

被災地から声をあげよう

今、必要なことは復興の理念を見失わないということです。それは被災者の生活再建ということですが、少なくとも震災の前の日に皆が戻る。復興災害を出さない、それに必要な制度や仕組みを作る、法改正に必要なことに取り組むということが非常に大事で、被災地から声を大にしてこれを進めなければなりません。国内外の被災地との連帯も大事です。宮城だけでなく岩手、福島にもネットワークを作って連帯していくということです。
次の災害への備えも必要です。日本が独自で災害復興制度を創設しなければならないと思います。その一歩は今回の被災者の皆さんの運動が大変大きな鍵を握っているのだと思います。

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