第44回保険医協会定期総会記念講演「 福島第一原発事故と日本病—世界から見た日本の現状 」村田光平氏


第44回宮城県保険医協会定期総会記念講演要旨

福島第一原発事故と日本病—世界から見た日本の現状

元スイス大使、東海学園名誉教授 村田光平氏

 5月31日に開催した第44回協会定期総会の記念講演の要旨を掲載します(文責編集部)。

福島はグローバルであり世界の安全保障問題
 私はこれまで徹底して人道主義と平和主義という立場から発信を続けてきました。今、力を入れて世界に訴えているのは、福島はもはやグローバルであり、世界の安全保障問題にまでなっているという点です。今為すべきは日本の歴史的使命となった真の核廃絶、民事・軍事を問わない核廃絶の実現への貢献です。原発に関するすべての問題点を、私は震災前に指摘しています。そのような者からすれば、原発問題を論議することは時間の無駄であります。この期に及んで原発を擁護するのは不道徳であるとの一語で片付けられます。

オリンピック招致が象徴する危機感の欠如
 私が非常に遺憾に思うのは、危機感の欠如です。オリンピック招致がそれを象徴しますが、福島第一原発の4号機に震度6強以上の地震が起これば、明日から東京は住めなくなります。もちろん宮城県もそうです。そういう現実があるにもかかわらず、オリンピックを招致してしまったのです。
 今年1月、そしてつい2週間ほど前に私は身が震えるほどの危機感を味わいました。一つは12月末に福島第一原発から白煙が昇っているという情報が流れ、アメリカ西海岸の住民には避難勧告がネット上で出され大騒ぎになったというものです。そしてもう一つは、ある財団から送られて来た福島第一原発が火を噴いている映像です。どちらも関係各方面に連絡を取り、そのような事態にはなっていないことが確認できたわけですが、そのような可能性が起こり得るということを全面否定できないというところが恐ろしさなのです。まだ経験したことのない事態が福島第一原発に存在するのです。日本にある54基の冷却プールすべてが冷却装置が故障した場合、3日でメルトダウンを起こす可能性を抱えているのです。これは安全保障上、日本の深刻な脆弱性といえます。さらには東海大地震、南海トラフ大地震の接近を抱えた我が国が、2020年までに無事にオリンピックの開催準備ができると思うこと自体、根本的に間違っているのです。

事故処理は国策化されなければならない
 これ以上の放射能による事態の悪化を防ぐためには事故処理に全力投球しなければなりません。つまり事故処理は国策化されなければならないのです。私はこの点を何度も訴えているのですが、一切事態は変わりません。例えば現在、福島第一原発4号機の燃料棒の取り出し作業を行っていますが、24時間体制で行えば夏中に全て完了すると現場から意見が寄せられました。それを関係者に伝えましたが、数カ月経っても未だに事態は変わりません。理由は国策化しておらず、一企業任せだからです
 もう一つ具体的な事例を現場から耳にしました。アメリカのシェールオイルガスの地下探索技術を活用すれば、福島原発の地下の状況が把握できます。導入費用は数億円で出来ます。しかし一年以上前から提案しているのに、事故処理が国策化していないため未だ実現しません。総論的には安倍総理も国際協力を活用すると言っています。今や未経験の事態に全人類の英知を最大限動員するということは当然必要な体制です。しかしそれが出来ていないということを二つの事例が物語っています。

奇妙な独裁を打ち破る天地の摂理
 事態が変わらない背景に「奇妙な独裁」というものの存在が考えられます。「奇妙な独裁」とは自らは決して政権の座には就かない。しかし政権のあるものに対して100%の影響力を行使するということです。そういう独裁主義がまかり通っているという趣旨です。日本の原子力ムラにしても国際原子力ムラにしても、いかなる正しい意見を述べても無視するだけだからです。これはまさに独裁です。国際原子力ムラは福島切り捨てから進んで日本切捨てに踏み切っていると思われます。その証拠は、まず1月に報道されたMIT(マサチューセッツ工科大学)による研究です。これは福島事故で住民を避難させることは必ずしも必要なかったのではないかという驚くべき研究です。つい1カ月ほど前になりますが、ニューヨークタイムズが原発に対し、容認の立場に変わってしまいました。そしてどこの国も手を出そうとしない原発会社の買収を、日本企業だけがやらされて損失のリスクを負わされています。日本的ならざるものの介入を思わせるのは浜岡原発の再稼動の申請です。100万筆の全国署名によりその運転停止がやっと実現したのです。国益をいかに無視した動きであるかの決定的傍証であるといえます。このように国際原子力独裁の影響力は無限の如くです。多くの国民は絶望しかかっています。
 これに対して私は、新語「天地の摂理」をつくり、希望を持つよう呼びかけております。天地の摂理とは、哲学が究明する歴史の法則であります。日本国民が熟知しているものでは、「驕れる者久しからず」「盛者必衰の理」「悪事は必ず露見する」「努力をすれば報われる」などありますが、そういう観点で歴史を振り返ると不道徳の永続は許されず、すべての独裁は、すべて終焉せしめられております。これが「天地の摂理」です。これによれば、国際原子力独裁の行く手を阻むものは地震、津波、決定的破局、そして倫理、道徳であると説いております。

電力会社の経営危機から国家危機への対応へ
 今後国際社会は、この現状を黙って見ているということはあり得ないと思います。そのために求められるのは、冒頭に述べた福島はもはやグローバルで、福島原発はグローバルな安全保障問題であるという認識です。私のように直ちに情報が届き、その度に震え上がらせられている者からすれば、日本の危機感の欠如はもう放置できません。今の状況は、電力会社の経営危機ではなく、国家の危機なのです。その認識が必要です。電力会社の経営危機から国家危機への対応へと転換する必要があります。
 文明への視点というものも福島事故後、あまりにも欠けていると感じます。原発というものは核兵器に劣らず危険であるということが福島事故の教訓の一つです。10万年も危機管理しなければならず、領土までも実質的に失うことになり、人的被害も与えてしまいます。原発の存在そのものが安全保障問題なのです。
 これを最も理解しているのがアメリカです。アメリカには100以上の燃料プールがあるため、脱原発に踏み切っています。アメリカはもう安易には戦争はできなくなりました。アメリカが戦争をすれば、燃料プールがテロの標的にされるからです。武力行使を極力回避するようになったアメリカの姿勢の変化の背景にはアメリカが抱えたこのような脆弱性があるのです。燃料プールへのテロ攻撃という問題は、これからの世界の原発政策に大きな影響を与えざるを得ないと考えています。
 福島事故の教訓で私が強調しているのは、原発事故というものは電力会社では解決出来ず、国としても一国では解決出来ないということを世界に示したという点です。もう3年経っても全然解決していないのです。これを全世界に徹底的に知らせる必要があります。「人間社会が受け入れられない可能性をもたらす事故を起こすような科学技術は、その可能性がどんなに低くなろうとも、完全にゼロでなければ、やめなければいけない」とドイツの有名な科学者が述べています。まさに福島事故の教訓として人類は受け留めるべきだと思います。その観点からすれば、安全性を高めるとか新型原発を造るとかいう議論が、いかに虚しいかということです。

力の父性文明から和の母性文明への転換
 福島事故の教訓としまして、文明論を変えなければならないと思います。力の父性文明から和の母性文明への転換です。母性文明とは倫理と連帯に基づき、環境と未来の世代の利益を尊重する文明と定義しております。脱成長の文明です。しかし、未だに地球が3つほどなければ到底維持できないような消費文明を続けようとする動きが存在するのです。
 福島事故の教訓でもう一つ重要な点は、指導者の新しい条件です。私は指導者の条件として必要不可欠なのは、感性と思いやりであると考えます。感性の制御のない知性はエゴイズムに陥ることが示されております。
 文明の危機への対応に関しては、小欲知足の重要性が強調されます。「幸福=富÷欲望」すなわち富が有限であれば、幸福を増やすには分母の欲望を減らすしかない、小欲知足しかないということです。
 新しい文明の方向性として、「物質主義から精神主義へ」「貪欲から小欲知足へ」「利己主義から連帯へ」という3つの転換が挙げられます。その具体的手順は、地球倫理の確立、真の指導者の育成、そして経済至上主義と文化間のバランスの回復です。このように新しい文明の方向性を考えますと、地球3つ分を必要とするような経済発展プロジェクトというものは、今後は実現しなくなると思います。
 父性文化と母性文化の違いは下図のように比較でき、趣旨が歴然とします。

 父性文化は必ず破局に立ち至ると歴史が立証しています。日本は本来母性文化の国ですが、明治維新により、父性文化を導入せざるを得ませんでした。その結果が敗戦であり、敗戦のときに導入された新たな父性文化が経済至上主義であり、その破局が福島事故なのです。世界を救うのは母性文化しかありません。重要なポイントは文化そのものを変える必要はなく、思考形態を母性文化的なものに変える必要があるということです。

国際社会の信頼回復のための名誉ある撤退
 重要な課題は、核拡散の防止と原子力発電の促進という両立できない使命を与えられたIAEA(国際原子力機関)を改革すること、現存する原子力発電所の安全に対する国際的協力による管理を強化することです。IAEAは電力会社の言いなりです。原発事故を矮小化して、放射能の危険性も矮小するという非常に罪深いことをやっているわけです。それなのにどの加盟国もその改革を唱えません。この提案を盛り込んだ「共同声明」は既に細川護煕元総理とロイエンバーガー元スイス連邦大統領により支持されており、画期的です。今後の進展が期待されます。
 日本の国際社会での名誉ある地位は失われております。国際社会の信頼を回復するためには、最大限の努力をして事故処理に当たる、これを可能とするために、東京オリンピックを返上する(名誉ある撤退)、そしてIAEAの改革に踏み切る音頭を日本が取る、これしかないと確信しております。以上です。

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