投稿「1.17 阪神・淡路大震災メモリアル行事に参加して」


1.17 阪神・淡路大震災メモリアル行事に参加して

理事長 北村龍男

はじめに

 伊丹から三ノ宮についてもいつもの雰囲気で、にぎやかで変わりはなかった。「震災」、「復興」、「20年」の文字はどこにも見当たらなかった。

 13時30分からの、阪神・淡路大震災救援・復興県民会議(以下、復興県民会議)の「阪神・淡路大震災20年メモリアル集会(第1部)」(神戸勤労会館7F大ホール)に参加。途中で抜け出し、16時30分からは、兵庫保険医協会主催のメモリアルシンポジウム「巨大災害と人権保障」に参加した。

 大きな学びがあり、復旧・復興の活動を続ける私たちには、励まし・導きに満ちていた。

阪神・淡路メモリアル集会

 メモリアル集会第1部は、会場一杯の参加があった。はじめに災対連代表委員の保団連住江会長、共産党の山下書記長の挨拶があった。

 早川篤雄氏の報告を聞き、兵庫協会に移動した。尚、宮入興一先生の特別講演は聴くことができなかったが、資料集の文章を読んで感銘を受けたので、講演の要点を紹介する。

報告「福島原発事故から3年10ヶ月フクシマのいま」

楢葉町宝鏡寺住職、原発問題福島県連絡会代表 早川篤雄氏

 「被害の状況はますます深刻になっている、避難前に戻ることはない」、「廃炉措置は30から40年後とされているが、全くの予定で、全くの当てずっぽう」、「(廃炉作業は)危険な現場の最前線で働く労働者が必要、生き埋めが起こり、下請けの下請けで日給6000円」、「原因の究明もしないで、津波が原因と逃げ切ろうとしている」、「20mSv 、安心して住める環境でない、帰還は3割、お年寄りばかり」、「田畑は除染なし、ゼオラをまぜて(放射線を吸収させ)、作物に吸収されにくくすると言っている」、「檀家が減っている、既に3軒」「11町村がまとまって復興することはありえない、被害の及んだ地域は消滅する」、「原発事故は起こるべきして起こった人災」、「避難者訴訟は473人の訴訟になっている。この国に政治を取り戻す」等と報告した。

 東京電力を被告とする福島原発避難者訴訟の要求は以下の3点である。第1に、被告の加害責任を明確にする司法判断を得て、原告らに対し、被告をして真の謝罪を行わせること、第2に、原告らの失った生活を取り戻し、人間の尊厳を回復し新たな人生を確立するにふさわしい損害賠償を被告に命ずる司法判断を可能な限り早期に得ること、第3に、「悲惨な被害をもたらす原発公害を再び繰り返してはならない」との思いと「被告が定立した不当な賠償基準を克服し、被害者の権利救済にふさわしい損害賠償基準を司法によって確立する」との痛切な要求を実現すること。

特別講演「雲仙から阪神・中越そして東日本へ」

愛知大学名誉教授 宮入興一先生

 第1に、災害復興理念としては、経済成長・開発型の「創造的復興」と生活再建・生業回復型の「人間復興」とが、絶えず2つの対抗する理念として顕在化してきた。前者は財界や官僚・政府の理念である。後者は被災者・一般国民・被災自治体の理念であり、運動論としては、被災者と被災地を基点とする国民の世論と運動に支えられ発展してきた。被災者支援の前進と到達点は、「創造的復興」と「人間復興」との対抗を通じて、段階的、転移的に達成されてきた。「人間復興」の理念はこの間の過程で市民権を拡大してきた。他方、「創造的復興」の理念も、絶えず新しく再生され蘇生してきた。このことは、次の大規模災害時に備え、「人間復興」の理念と政策を絶えず鍛え直し、吟味しておくことの不可欠さを示唆している。2013年に災害対策基本法が改正され、災害対策の理念が明文化された。しかし、災害復興理念と復興体系を明文化した「災害復興基本法」はまだ未確立である。このためにも、全国災対連、その他の被災者支援組織の持続的活動とその全国的ネットワークの強化は欠かせない。

 第2に、被災者生活再建支援の制度と運用の改革は、人間としての誇りと安全・安心・安寧な生活の一刻も早い回復、そのための生活拠点である住宅再建と住宅の確保、コミュニティの維持・再建、環境や医療・教育等の社会的共通資本の回復にあった。とりわけ「被災者生活再建支援法」の成立によって、被災者個人の生活再建、ことに個人の住宅再建支援が2度の改正をへて基本的に制度化されたことである。同法は、いまだ対象災害規模、被害認定基準、低い支援金上限などの欠陥を抱えている。2011年の見直し予定期に東日本大震災の発生により改正が延期されてしまった、実施が緊急に求められている。なお、災害救助法の活用は、とりわけ災害特性に応じた被災者生活再建に大きく寄与してきた。東日本の取り崩し型復興基金(*1)の運用でやや後退現象が見られるのは懸念される。

 第3に、被災中小企業者の生業支援は、被災者個人への生活再建支援よりも取り組みがかなり遅れた。被災中小企業者へも「自力再建」が押しつけられ、再建支援は災害融資と減税措置程度だったからである。地方の県レベルで、中小企業への復興助成が行われてきた。東日本では、小手先の対策では追いつかなくなり、登場したのが「グループ補助金」であった。中小企業に限定されたものでなく、最初は大企業のサプライチェーン関連企業、地元大手資本に優先配分された。その後、被災中小企業者や商店街などから痛切な批判と要求、支援団体の運動等によって、改善がなされてきた。しかし、この補助金は新法に基づかず、中小企業庁の予算補助に留まった。東日本では自治体独自の助成や復興策も先導的な役割を果たした。「二重債務」処理については、制度の法制的枠組みができた点は前進面であるが、効果は薄く、その実質化はこれからの課題である。

 第4に、「原発災害」自体は、原発の安全性への手抜きによる人災を主因とし、地震・津波を契機とする自然災害が重なった複合災害である。人災が主因であるから、被災者・被災地への損害賠償は完全に果たさねばならない。東電も政府も当事者意識に乏しく、除染は不十分で、汚染地域の復旧も進んでいない。賠償金・損害賠償の支払を値切ろうとしている。こうした不遜な態度は国民の包囲網で改めさせる以外にはない。しかし、政府は、責任を回避したまま、むしろ原発輸出に血道を上げている。また、原発をエネルギー基本計画の柱に据えている。原発災害からの復興は、原発災害の全体構造からの転換でなければならない。

 最後に、近い将来、大規模災害の頻発が予想されている。災害による被害を軽減できれば、それだけ災害復旧や復興に要するコストや資源も少なくてすむ。これまでの災害復興の到達点と課題を踏まえて、「事前復興」の観点を結びつけ、災害予防と減災政策へのシフトが図られるべきである。

*1 取り崩し型復興基金(以下、宮入先生の資料からの引用)

 従来、大規模災害では、被災者・被災地支援の実効性を高めるために、被災した府県の起債により災害復興基金を創設し、それを財団方式で資金運用する「積み立て型復興基金」が採用された。しかし、今回の大震災では、現状の低金利では必要な運用益が確保できないとして(プールした資金を必要に応じて取り崩す)「取り崩し型復興基金」が、被災9県で合計1,960億円で創設された(11年度第2次補正、特交分)。このうち宮城県660億円である。宮入先生は以上の様に述べている。

 今回、財務省は運用方式を各県に委ねた。各県は直営方式を選択したことで基金が行政施策と一体になっている。ハード支援が中心になったり、迅速性を欠く懸念がある。個人・事業者・NPOへの支援に行き届くかどうかが課題となった。

メモリアルシンポ『巨大災害と人権保障』DSC02904

 メモリアルシンポは、兵庫保険医協会が主催し協会研修室で行われ、100名以上の参加であった。

 はじめに池内春樹理事長が挨拶し以下のように述べた。震災を経験した人が2割になり、震災を伝えることが重要である。個人の財産を保障しない方針と向かい合い、その後被災者支援法を作らせた。しかし現在、シャッター商店街が増え、借り上げ住宅からの立ち退きを迫られるなど大きな人権問題が起きている。これらの動きと立ち向かい、南海トラフ震災に備えるために、このシンポジウムを計画した。

 シンポジウムでは、4人の報告があった。

 

報告「『創造的復興』の原点は神戸にあった−ショックドクトリンで収奪される被災地−」

DSC02893ライター 古川美穂氏

 雑誌「世界」に「ショックドクトリン」を連載した古川美穂さんの報告がはじめにあった。 ショックドクトリンの例として、2004年スリランカでの高級リゾート、2005年のハリケーンカトリーナでの教育の民営化をあげた。大きな災害の後に急に考えつかれた計画ではなく、以前からの計画が、災害をきっかけに、国民が呆然としている間に、一見被災地のためになるように装いながら実行に移されると述べた。宮城でも突然東北メディカルメガバンクが出てきたが、「これは元々は成長戦略という国策に便乗した企画であり、大学・研究者・大企業・政党によって持ち出された構想である(日野による)」 古川さんは、メディカルメガバンクの説明の後、特にCENTER OF INOVATION(COI) STREAMについて触れた。東北大と東芝は共同研究の成果として、日本人ゲノム解析ツール(ジャポニカアレイ)を開発した。東北メディカル・メガバンク機構の1000人分の全ゲノム解析データを利用した日本人向けのアレイチップで、データ量1/3000・短時間・低コストで解析可能としている。このようなことは血液を提供した人たちにはほとんど知られていないと思われる。さらに古川さんは、一部負担金免除、漁業権、農業分野へのイオンの進出等に触れた。

 神戸のショック・ドクトリンの始まりは24時間空港を作ることであったと指摘し、宮城でも空港がショック・ドクトリンの舞台になっていると述べた。10年前から国際観光戦略研究所にはカジノの計画があり、昨年6月に「東北の復興から考える日本の未来」なる講演会が開催された。地元からの「カジノは役に立つのか?」との質問に「無理強いしているわけでない」と答え、地元の人は「被災地を侮辱された」と受け止めていたと報告した。空港はいつでも規制緩和の玄関口と指摘した。雑誌Voiceの昨年4月号で、村井知事が「仙台空港民営化と医学部新設は被災地再生の好機となる」と言っている背景が理解できた。

 今後の取り組み関して、地域社会の共生・共同が大切とし、佐藤元福島県知事が「小さな市町村がうまくいっている」と述べていることを紹介した。また、岩手の漁協で「一軒で船を持つことを認めない決議をあげ、共同利用船で漁業を再開した」ケースをあげ、組合長の指導力とともに元々共同協力があったことを指摘した。「バラバラでは声を上げられないうちに、利用されてしまう。今から、次の(災害の時には)ショックドクトリンが起こる前に対応できるよう準備が必要」と結ばれた。

報告「全国災害対策連絡会16年の成果」

全国災対連代表委員、保団連会長 住江憲勇先生DSC02900

 保団連会長の住江先生が、全国災対連代表委員の立場で、全国災対連について、成り立ち、これからの課題について報告した。

 阪神・淡路大震災では、政府は個人補償を拒否した。それに対し、公的補償を要求する署名運動が始まった。98年5月に「被災者生活再建支援法」が成立した。内容は生活再建のみで、限度額100万円であった。住宅再建への支援はなかった。99年に災対連発足(第3回総会で全国災対連に改称)した。

 2004年には「被災者生活再建支援法(第1次改正)」が行われ、新たに居住安定支援制度として限度額200万円が加えられた。この成果は、2000年の鳥取西部地震で、鳥取県が独自に300万円の支援施策を行ったことが大きな力になった。しかし、住宅本体の立て替えや補修は含まれず、年齢・年収制限もあった。 2007年「支援法(第2次改正)」で、全壊・大規模半壊に対し住宅本体が支援対象になり、最高300万円となった。2007年に発生した能登半島地震や中越沖地震などに遡及適応された。

 2007年の改正時の衆参災害特別委員会で「施行後4年をめど」に見直す付帯決議がされ、そのための検討会が設置されたが、東日本大震災で手つかずの状態である。「見直し」に当たって「被災者の総合的な生活支援の在り方」に関する検討が追加された。しかし、「支援限度額や支援対象の拡大は総合的な支援対策の一部とされ、切実な課題が後回しの議論になっている」と指摘した。個人補償に前向きでない施策が行われ危惧がある。

 住江先生は、全国民的に要求すべきこととして第一に「被災者の生活再建が速やかに行われれば、被災地のすみやかな復興に資することになり地域が活性化し、その復興を加速することになる」、「住宅再建は生活再建の土台である」、「住宅再建には公共性がある」、「住は人権である」と訴えた。

 全国災対連では、被災者生活再建支援制度改善の署名「住宅再建の支援金は500万円に増額を」を行っていることを紹介・支援を呼びかけた。

 さらに、「阪神・淡路大震災の被災者・兵庫県民の不屈で先進的・献身的な闘い・運動によってその後の被災者生活再建支援制度による成果に寄与して頂きました。その間の制度創設、改善のたび遡及されることも一切なく、僅かに災害援護物資資金借り受けの返済が2014年に入り改善された位です。震災20周年を迎えて、借り上げ住宅追い出しの危機に直面されている方々が多くいます。この間の闘い・運動に感謝申し上げるとともに、全国的な被災者生活再建支援制度の改善に向けた闘い・運動に参加・協力をよろしくお願いします」と謝意を述べた。

報告「震災20年、開業医はいかに闘ったか」

兵庫県保険医協会副理事長 武村義人先生DSC02910

 医療は「水道やガスと一緒やろう」の立場で取り組んだと、武村先生は語り始めた。

 兵庫協会の活動の紹介とともに東日本での現状についても触れられた。被災者の患者負担免除措置、民間医療機関への支援、医療機関の診療報酬概算請求などは、阪神・淡路大震災で兵庫協会が始めた活動が受け継がれ、今回の東日本大震災で生かされた。特に、私に取って印象深いのは概算請求である。東日本大震災直後3月20日に兵庫協会の広川恵一先生が、和歌山協会の小野田幸男先生と宮城協会に激励に医薬品を持って訪れてくれ、その折、概算請求について教えてもらった。宮城協会は、3月26日、4月5日に概算請求の取り扱いについての要請書を政府に提出している。一部負担金免除期間・対象も東日本大震災では不十分ながら改善した。宮城協会・県民センターの活動は兵庫の活動の延長線で前進したと感じた。兵庫協会で取り組み始めた民間医療機関への支援制度は、保団連などの支援もあり、災害復旧補助金の対象にならない民間医療機関向けの公的補助制度の創設など、阪神・淡路大震災当時よりは拡大した。

 続いて、武村先生は、当時の村山内閣の「私有財産制度のもとでは個人補償はできない」とした被災者切り捨ての態度が、被災者の生活再建を遅らせ、再建できずに廃業・破産した自営業者、今も多重ローン苦しむ被災者、借り上げ復興住宅からの追い出しにおびえる被災者を生んでいると述べ、個人補償を求める兵庫協会の取り組みを振り返った。96年には兵庫保険医協会のよびかけで、県医師会、コープこうべ等が県下48人の有識者の協力を得て、公的支援を求めるアピール運動を展開、特別立法を土井たか子衆院議長に提出した。首都圏でも「中央アピール推進連絡会」が結成され、小田実氏等の運動とあいまって政治の中心課題となり、97年に法案が参院に提出された。98年の終盤国会に自民党が新たに全半壊の被災者に50~100万円の被災者生活再建支援法を提案、成立した。金額面など、不十分とはいえ「個人補償はしない」とする政府に公的支援を認めさせた意義は大きいと報告した。その後、粘り強い運動で2度の法改正を勝ち取り、被災者生活の再建に役立っていると述べた。武村先生は、全国災対連と1つ1つの運動を積み上げたこと、また、鳥取県の県独自の支援施策が大きな役割を果たしたとも述べている。

 さらに、災害復興を利用した「創造的復興」論=医療産業化の危険について、ポートアイランド医療産業都市構想等を例に上げ報告した。そして、「創造的復興」の名で経済成長を医療研究分野の目的にすれば、ビジネスベースの研究開発を急ぐあまり、地域医療の貢献どころか、地域住民の安全・安心が脅かされると述べた。

 今後の課題として、「被災者生活再建支援法」の抜本拡充、「生活援護資金」返済免除を訴え、社会保障の充実こそが被災者、国民への最大の公的支援であると考えていると結んだ。

 20年の生活相談から

DSC02916ひょうご福祉ネットワーク 正津房子さん

 震災直後、被災者には集まる所すらない環境だった。そんなとき、焼身自殺をした被災者がいたとはじめに語った。

 正津さんは、ひょうご福祉ネットワークの19年目の活動を中心に報告した。

 毎月第3水曜日午前10時からビラまきをし、巡回相談を毎月第4土曜日の午前10時から12時に行っている。(ビラは保険医協会で印刷、協会が費用を負担) 現在もカレーライスと果物の炊き出しを行う。1回30~80食。好評で今でも全部食べてもらえる。(北須磨文化センターは会場の都合で炊き出しなし。

 被災者相談会は、ネットワークの事務所で。第1水曜日の13時から開始。常に6~8人のメンバーが参加し、生保申請、多重債務、自治会問題などが話し合われ、対県交渉も行う。

 最近の深刻な相談では、「借り上げ住宅から出て行けと迫られ、体重が10kg減った」、「昨夜も野宿。これから寒くなるので生保を受けたい。空き缶を集めて暮らしてきたが、食べるのにも困っている」、「37年働いて、年金が16万円から14万円に減額、介護保険料を引かれると残るのは僅か。右目は弱視、左目は視神経萎縮。家賃の減額をしたいが…」、「85歳の高齢者から何故医療費・消費税を取るのか」、「52歳の長男と2人暮らし。長男は市内のマンションを所有しているが、現在は賃貸中。家賃収入は12万円で、ローンの支払いは15万円。タクシー運転手の収入はほとんど残らない」、「共益金が300円から400円増額。来年4月から駐車場使用料も値上げ。空き家が多く、若年層が増え非常にあれている」、「27歳の男性。妻名義の家に0歳と2歳の男児、弟、弟の母と同居。もめ事が絶えず妻から離婚届が送られてきた」などを紹介した。

 ネットワークの事務所はいろんな団体の集合場所になっている。拠点があることは重要と述べ、家賃の値上げを迫られたが、何とか値切ったそうだ。ここに来て一層財政が困難になっている。兵庫県・神戸市の助成はゼロ。「しみん基金」の助成は貴重だが、応募団体は多く、連続しての助成は不可能と述べた。日本財団などからの助成も減っているようだ。

 シンポの後の懇親会で、正津さんから「ビラを送ります」と申し出があった。ネットワークの活動を広めるとともに、支援を考えたい。

おわりに

 1月17日は、災害からの復旧・復興を改めて考える機会になった。

 阪神・淡路以来、被災者・被災地の立場か、「創造的復興」かのせめぎ合いが続いている。個人補償などの前進があるものの、「創造的復興」も新たな装いを凝らし力を強めている。その先頭に立っているのが宮城県である。

 宮入興一教授は、「創造的復興」は 財界や官僚・政府の理念であり、「人間復興」は被災者・一般国民・被災自治体の理念であると述べている。残念ながら後者は一般国民の理念になっていないのではないか。宮城県知事選では村井知事が圧倒的な差で、憲法に基づく復興を掲げた候補に勝利した。これをどう変えて行くか。ここに課題がある。知恵を集め、「創造的復興」に立ち向かいたい。

 この報告は、シンポジウムでのメモと配布された資料を基に書き上げました。兵庫協会事務局にもチェックしてもらいました。

This entry was posted in 活動. Bookmark the permalink.

Comments are closed.