寄稿・社会保障・税一体改革関連法の内容と影響 二宮厚美氏


消費税増税法と同時に成立した社会保障・税一体改革関連法、協会はこの一体改革関連法の中身と予想される影響について神戸大学名誉教授の二宮厚美氏から見解を寄せてもらいました。

寄稿

社会保障・税一体改革関連法の内容と影響

神戸大名誉教授 二宮厚美


野田政権は、先の国会において、「社会保障・税一体改革」を強行し、消費税の引き上げとともに、将来の社会保障を左右する社会保障制度改革推進法(以下、推進法)を通過させた。この「一体改革」は、内容からみると、①15年度には消費税率を10%に引き上げる、②内閣のもとに社会保障制度改革国民会議を設置して社会保障構造改革を再スタートさせる、の二点に要約されるものである。この二点が将来の財政・経済、および社会保障に与えるダメージには、きわめて深刻なものがある。

消費税の特質に根ざす経済財政の悪循環

まず消費税の引き上げが持つ意味を、消費税そのものの性格に照らしてみておかなければならない。税金とはすべて最終的には所得に賦課されるものであるが、消費税とは、総所得のうち、「消費にまわされた所得」にかかる税金のことである。所得は一般に「消費+貯蓄」からなるが、消費税はそのうち消費に充てられた所得に課せられる税金である。たとえば、月収30万円の人が月々28万円を使うと、その28万円に賦課されるのが消費税である。問題なのは、消費にまわされないで残った貯蓄、上の例では2万円の貯蓄部分には課税されない、ということである。

これは、消費税とは「消費には冷たく過酷であるが、貯蓄には甘く優しい税金」だということを意味する。日本の財政がこの消費増税にますます深く依存する構造に向かっていくと、二つの事態が同時に進行する。一つは消費を冷やすこと、いま一つは貯蓄優遇の結果、貯蓄を促進することである。「一体改革」は、消費増税を強行しながら、個人、法人の所得税改革や資産課税強化を見送り、将来の日本が消費税依存型の財政に向かう軌道を設定し、消費を冷やし消費デフレを今後も長引かせること、貯蓄を優遇して、いまですら過剰な貯蓄(過剰資金)をさらに増やすこと、この二方向を打ち出したのである。

だが、これでは日本の経済も財政もよくならない。なぜなら、まず消費増税による消費デフレの継続は、内需の約6割を担う家計消費の萎縮を通じて、内需拡大に依拠した国民経済再生の道に遮断機をかけるようなものだからである。内需が伸びない国民経済のもとでは、将来の税収も見込めない。さらに、貯蓄優遇の結果、日本国内には過剰資金が滞留することになる。日本では現在、この過剰資金が膨大な国債発行を消化する役割を果たしているが、世界全体では、この過剰資金こそがリーマン・ショックからユーロ危機にいたる各種投機、バブルを呼び起こしてきた主犯である。したがって過剰資金の温存は、この間の金融危機やユーロ危機が示すようなバブルの発生、その破綻という悪循環の火種を残すことにならざるをえない。 こうして、消費増税の前途に待つ日本の経済・財政の将来は、「消費不況プラス過剰資金のもとでの財政危機の深化」という悪循環の道でしかない。この悪循環に組み込まれた政権は、来たる解散・総選挙の後、どのような新政権が生まれようと、安倍政権以降のこれまでの歴史が示すとおり、きわめて短命の、くるくる代わる政権にならざるをえない。その意味で、「一体改革」は日本の政治史にシリーズ政変劇時代の到来を告げた、といってよい。

消費税を財源にした社会保障理念の変質

問題は消費増税が国民の生活・消費に襲いかかるだけではなく、それを財源にした社会保障に一つの歴史的変質を呼び起こすことにある。消費税が社会保障の裏打ち財源にされると、所得・資産税が社会保障を担う場合とは違って、従来の社会保障理念が崩れていくこと、この点に注意しなければならない。

社会保障の変質を明確に打ち出したのは、野田政権に先立つ菅政権当時の「一体改革案」であった。菅政権の「一体改革案」の目玉は、消費税の社会保障目的税化であったが、「消費税=社会保障目的税」のもとでは、消費税の性格にあわせて社会保障の理念に変質が起こる。それは、社会保障に消費税の衣装をまとわせると、社会保障の姿形がすっかり変わたものになるのに同じである。

「消費税=社会保障目的税」のもとでの社会保障は「みんなのために、みんなでつくり、みんなで支える社会保障」となる。この社会保障の規定は、1995年の社会保障制度審議会の勧告(95年勧告)からとってきたものであるが、これは「共助・連帯としての社会保障」を説明したものであった。実は、菅政権当時の厚労省は、「一位改革」のもとでの社会保障構造改革を打ち出す際に、この「95年勧告」を使ったのである。この勧告は、かの「50年勧告」以来の「権利としての社会保障」または「憲法にもとづく社会保障」にかわる社会保障像として「共助・連帯としての社会保障」を打ち出したのである。

「消費税=社会保障目的税」のもとでの社会保障が「共助・連帯としての社会保障」にならざるをえないのは、消費税が「みんなのために、みんなでつくり、みんなで支える消費税」という性格を持っているためである。野田政権は「消費税の社会保障目的税化」は断念したが、この「共助連帯としての社会保障」像を菅政権から受け継ぎ、さらにそれを社会保障が存在しなかった19世紀的福祉観に結びつけた。なぜ、生活の自立自助を原則にした19世紀的福祉観が登場することになったのか。それは、野田政権が、一体改革」のうち、消費増税の点では民主党案を貫いたが、社会保障改革の面では、民主党マニフェストを投げ捨て、かわりに自民党案を呑んだからである。これが民自公三党合作の「一体改革」の帰結となったのである。

保険主義の強化による医療・介護給付の制限

三党合意にもとづく「一体改革」の一環として可決された推進法は、その目的を第二条において、「自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと」と規定している。これは、社会保障の大黒柱を相互扶助(共助)にすることを述べたものにほかならない。 社会保障における相互扶助の仕組みとは、医療・年金等の社会保険に則していえば、保険原理にもとづく仕組みのことを指す。そもそも保険とは、「自助プラス共助」の産物である。なぜなら、保険は疾病・事故等の私的リスクをプールして、各人の負担を極力抑えようとするところに成立するもの、したがって、自助責任を出発点にしてリスクへの備えを共同化(共助化)したものだからである。

実際、推進法は「年金、医療及び介護においては、社会保険制度を基本とし、国及び地方公共団体の負担は、社会保険料に係る国民の負担の適正化に充てることを基本とする」と述べている。これは、医療保険では保険主義の原則にたった運営を基本にする、ただし保険料負担の軽減が必要な場合に限って公費(消費税財源)を投入する、ということを述べたものにほかならない。 では保険原理に依拠した保険主義強化とは何を意味するか。当面、もっとも重要になるのは、保険原理の第1とされる「収支相等の原則」が貫かれることである。この原則は、保険財政の収入と支出を均衡化すること、端的にいうと赤字を出さないことを意味する。 医療・介護保険に「収支相等の原則」が徹底されると、二つのことが進行する。一つは、保険財政に赤字が生まれそうなときには、保険の収入確保策の強化、すなわち保険料か消費税かのどちらか、またはその両方の引き上げをはかる。

いま一つは、保険給付の制限、支出の削減である。この二つの選択のうち、収入確保策の面では、すでに「一体改革」において、保険料を補てんするために消費税を引き上げることが決まっているから、社会保障構造改革の側の力点は、いきおい保険給付の見直しに向かわざるをえない。 これを推進法は、医療保険では、「保険給付の対象となる療養の範囲の適正化等を図る」と述べ、介護保険では、「介護保険の保険給付の対象となる保健医療サービス及び福祉サービスの範囲の適正化等」を打ち出している。要するに、医療・介護保険では、医療・介護両サービスの給付範囲を限定化する、ということである。 保険給付の制限・限定化とは、患者等に必要される医療・福祉サービスが、医療・介護の社会保険によるだけでは十分に提供されなくなることを意味する。これは明らかに、国民皆保険体制に対する新たな挑戦というべきである。推進法は、その具体策を将来設置予定の社会保障制度改革国民会議で検討するとしたが、同会議には、皆保険体制の見直し に向かう路線がすでに敷かれていることに注意しておかなければならない。

もっとも危険な橋下・維新の会の動き

そのうえに、いま日本では重大なことは、国民皆保険体制の破壊を公然と主張する勢力が台頭しつつあることである。橋下・維新の会である。彼らが「日本維新の会」を発足させた前後の民主・自民両党の党首選をみれば明らかなように、二大政党の党首選はさながら橋下一派へのすり寄り合戦の様相を示した。両党の党首選候補者はすべて、橋下一派との距離間を軸にして選挙戦を進める、という惨憺たる状況に陥ったのである。なんという体たらくか。

なぜいま橋下一派が危険なのか。それは、彼らが国民皆保険体制を正面から攻撃しているからである。たとえば、「維新八策」は、「社会保険への過度な税投入を是正」「公的保険の範囲を見直し混合診療を完全解禁」「年金の積立制度化」等を掲げる。これは、文字どおり、過去50年間におよぶ国民皆保険体制を清算する、と宣言したに等しい。 現代日本で、「日本維新の会」が国政に進出するようなことになれば、野田政権が残した「一体改革」はさらに過激な新自由主義路線上で進むことになるだろう。この危険性にいま目を向けておかなければならない。

 

 

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