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能登半島地震から2年、豪雨災害から1年半の奥能登*北村龍男

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【能登訪問記】

能登半島地震から2年、豪雨災害から1年半の奥能登

 
東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター・世話人
宮城保険医協会・顧問
北村龍男

はじめに

 東日本大震災の折には、石川県保険医協会など石川県の方々からも多くの支援をいただいたことは記憶に新しいことです。それが能登半島地震の後、ずっと気になっていました。宮城県や保団連からの支援・ボランティア活動の情報を聞いていました。しかし私の年齢を考えると訪ねれば迷惑をかけるのではと危惧していました。
 石川県保険医協会の総会で、特別講演「能登に伴走して」があると知り、これを機会に能登を訪れることにしました。また、能登町で診療を続けている小木クリニックの瀬島先生を訪れることにしました。瀬島先生には快く受け入れてもらいました。
 これは特別講演聴講と小木クリニック訪問を軸にした訪問記です。

【能登訪問記①】
能登町の旅館とその周辺 
 3月5、6日は能登町に宿をとることにした。適当な宿が見つけられず、観光協会のリストの一番はじめに載っていた旅館に電話を掛けた。予約できるが、「食事は出せない、近くに飲食店、コンビニがある」ということだった。被災地に行くのだから、いいだろうと予約を入れた。
 3月5日の17時過ぎにバス停能登役場前に着いた。宿はすぐ分かった。中年の女性が出てきて「今日のお客さんは一人です」と言われ、2階の6畳の部屋に案内された。トイレは共同だった。「1階に替えましょうか?」と言われ、1階の部屋に移った。2階と同じ作りであった。部屋はちゃんと掃除され、寝具もきれいだった。使ってはいなさそうな他の部屋を覗いてみると、雑然とものが置かれていた。使っている部屋はこの2部屋だけのようだった。トイレを案内されたら、結構離れたところにあり、普段は宿の老婦人も使っているようだった。この老婦人は新聞を読んだりして目はしっかり、話のやりとりは問題ないが、どうも酷い難聴のようだった。宿はこの老婦人と中年女性の2人で切り盛りしているようだが、中年女性の方は、朝出勤し、夜には帰るとのことだった。
 「そっちの方に飲食店があり、反対の方にコンビニがある」と言われ、夕食に出かけた。確かに店はあるが明かりは点いていない。昼間だけの営業か?  困ってコンビニかと考えていたら、弁当屋があった。幕の内弁当を買い、コンビニにも寄って追加の食べ物を手に入れ、宿に戻った。中年女性に「飲食店は開いていなかった」と言ったら、首をかしげていた。
 中年女性が部屋に現れ、風呂に入れて欲しいと言う人が来ている、「先に入りますか、後で入りますか」と言われ、「お先にどうぞ」と答えた。
 6日には、7時過ぎに起きだし朝食を仕入れにコンビニに出かけた。6日の予定は、午前中にはタクシーで珠洲市を案内してもらい、午後は小木クリニックの瀬島先生を訪ね話を伺うことにしていた。瀬島先生の話は後にふれる。
 夕方17時過ぎに、瀬島先生に送られて宿に戻った。中年女性が現れて「今日は風呂は銭湯に行ってください。○○旅館と言えばわかりますから…」と言われた。宿の風呂は3~4人は入れそうな風呂だったので、一人では沸かすのがもったいないと言うことか?
 銭湯にも興味があったので快諾した。銭湯は19時終了だそうで早速出かけた。小さな古い銭湯だ。数人入っていて、高齢者が湯船に寄りかかり、ゆったりと寛いでいた。大人は全く声を発しなかったが、男湯の子どもと女湯の母親のやりとり「ジュースを飲んで良いか?」などの声が響いていた。昨夜の宿の湯に入りに来た人といい、銭湯といい、何となく地域の様子が感じられた。夕食はコンビニで調達した。
 夜間はトイレが離れているので辛かった。
 7日の朝は7時過ぎのバスで出発することにしていた。宿を出るとき声をかけたが、老婦人の返事はなかった。表のカーテンは開け放されていたので起きているはずだが。聞こえなかったのか。
尚、1泊3500円だった。
役場前の橋のたもと
調査の判定は「使用可能」。しかし、放置されているようだ

【能登訪問記②】
珠洲(すず)市、被災の跡・特養など

珠洲市を一回り

 6日は午後から小木クリニックの瀬島先生にお会いし、その後、珠洲市の特養長寿園に同行する予定であった。午前中どうするか考えて、観光協会に電話し、珠洲市に行ってみたいと言ったら、能登交通の二戸さんを紹介してくれた。午前中に珠洲方面を案内してもらうことにした。
 9時に能登役場の駐車場で二戸さんと落ち合い出発。海岸に沿った曲がりくねった国道を移動。道路は所々で工事中であり、二戸さんは「能登の道路はまだ凸凹が多いので、夜は怖い」と言っていた。二戸さんもこの方面はしばらくぶりらしい。所々に更地があり、「以前はここに建物があったのに…」等とつぶやいていた。母屋は瓦屋根で、屋根付きの門があり、植木の手入れが行き届いた家も残っていたが、新しい家も見られた。新しい家はほとんどが平屋で小さめ。二戸さんの話では、「高齢者が多いので、大きい家は建てられない」と言うことらしい。新しい家の中には独特の板壁の家もあった。新鮮な感じだった。
 途中、仮設住宅に寄ってくれた。能登町か珠洲市かは確認しなかった。20軒くらいか。道路から写真を撮る。見かけた人は一人だけ。尚、能登町では、仮設から出る人が増えて、空いているところが多く、賃貸を始めている。工事の人など市外の人も受け入れる方針だそうだ。一方、能登町では災害公営住宅の着工が始まったばかりとの報道もあった。将来、住み続けられるように作るということだった。
 珠洲市の災害公営住宅を見た。駐車場には多くの車があったが、ここでも人影はなかったが、明るい色で途中見てきた住宅とは全く違う雰囲気であった。
 二戸さんは、観光地も案内してくれた。隆起した海岸や見附島も見た。ランプの宿、道の駅『狼煙』は営業していない。二戸さんの説明では、「人手がない」ということらしい。珠洲市の人口は20%減少しているそうだが、広域避難などで実際に今住んでいる人は、もっと少ないのであろう。
 走っていて、所々に国道あるいは県道からの細い分かれ道があった。舗装はされているが、ワゴン車が入るのはどうかと思う幅であった。その先に小さな部落があるそうだ。それらの部落が震災時には孤立した。その集落にたどり着くのは大変だったらしい。
 9月の豪雨で氾濫した川沿いは、堤防の一部に土嚢が積み重ねてあった。郵便局は流されて、仮設の郵便局があった。
 珠洲市では、急行バスの終点『道の駅すずなり館』の周辺は、人も車も、家並も連なっていて賑わいが感じられた。他は、いかにも人が少ない感じがした。
見附島。両脇が崩れている
珠洲市の災害公営住宅
特養長寿園、第3長寿園
 昼過ぎに小木クリニックに到着。診察室で瀬島先生の話を伺い、14時頃、珠洲市の特養長寿園に向かった。クリニックから長寿園まで車で約30分。(瀬島先生の話は後にふれる。)
 長寿園には、元々の本館と新館、それに離れたところに建っている第3長寿園がある。瀬島先生は、震災後に前任者が被災し担当が困難ということで、嘱託医を引き受けた。
 瀬島先生が診療にあたっている間に、本館、新館を施設長さんに案内してもらった。本館120床、新館60床にする計画であった。震災で建物のダメージあり、スタッフも集まらないので、これからは新館だけにする予定とのことだった。震災時には、入所者は97名で、地域の人たちが200人位避難してきた。また、「福祉避難所」も引き受けた。しかし、水が出ないこと、医療が提供できない(嘱託医も被災)ため、継続が困難で、金沢市の広域避難所に86名が移った。配水が戻った3月末に、入所者は戻って来た。戻って来たのは59 名で、その間に13名が亡くなり、15名が金沢に残った。(数字が合わないが、私のメモではこうなっている。聞き間違えか?)尚、職員数は230名いたが、現在は180名になったという。
 今後の予定は、本館は公費解体の予定で、新館だけで運営の予定だそうだ。人口減、スタッフ減の影響らしい。新館には風呂がないが、風呂がなかなか作れない。「国の認可書類が細かすぎて大変だし、業者もいない」と施設長さんは嘆いていた。
 第3長寿園に移り、ここでも施設長さんに案内してもらう。ここでは建物の損傷は大きくない。しかし、建物と土台の間に亀裂が入っている。この建物の海側は、津波に襲われた。第3長寿園と海の間には住宅が軒を連ねていたそうだが、今はほとんどが更地になっていて、建物はわずか。屋上からは、以前は間に林などがあり見えなかった見附島が見えるようになった。建物の反対側は、仮設住宅が並んでいた。施設長さんも仮設住宅の住民らしいが、空きが増えているという。
 尚、石川こころのケアセンターのイベントの案内が廊下の壁に貼ってあった。
 追記)珠洲市には、高市首相のポスターがそこここに張り出されていた。8日の石川県知事選のためか? 知事選の結果は喜ばしいものであった。
津波に襲われた海側
仮設が立ち並ぶ山側。全体ではこの3倍

【能登訪問記③】
小木クリニックの瀬島先生
 
 6日昼過ぎに、二戸さんのタクシーを下りて、小木クリニックを訪問した。院長の瀬島先生の話を伺う。主な話題は、小木クリニックの診療活動、オンライン診療、事業継続計画(以下、BCP)であった。

 診療活動は、WEBでの交流、石川県保険医協会50周年シンポジウムでの発表(資料)、医療研フォーラムでの発表、東京保険医新聞の記事等で見聞きしていた。
 小木クリニックは約10年前に開院、新しく清潔な感じの建物でした。半径4㎞圏内に他の医療機関はない。体制は医師1名・看護師2名・事務員2名で、看護師を確保できない診療時間帯があり、その時間帯は医師一人で診療にあたる。最も近い基幹病院である宇出津総合病院までは8㎞。奥能登の様子も伺った。奥能登半島地震から2年が経過し、奥能登の能登町・穴水町・珠洲市・輪島市の人口減少率は震災前の2~3倍になり、生産年齢人口の減少が深刻で、高齢過疎が進んでいる。地域住民への震災後の精神的・経済的な負担は大きいということであった。

発災直後の指定避難所での活動

 2024年1月1日16時10分に能登半島地震発生。17時頃クリニックに到着し、BCP発動。先生は小中学校の指定避難所を訪れ、19時ころ中学校指定避難所で救護活動を開始した。1日から3日の受診患者は、外傷56%、急性疾患28%、慢性疾患16%であった。通信が使えない状態で、後方病院への搬送には2時間(通常は15分位か)かかる交通状態であった。発災当日~2日目は外傷・不安・持参薬不足・脱水症・低体温・感染症、発災2~3日目は持参薬不足・感染症・不安・外傷・脱水症・空腹感低血糖が多かった。

小木クリニックでの活動

発災直後
 1月8日まで停電、紙カルテ使用。投薬日数は7日分とした。9日から電子カルテ。処方日数は10日とした。医療物流の再開は5日から(1日1便)であった。診療体制は医師1名の日もあり、看護師が配置できるようになったのは14日からであった。診療時間は22日までは10時から12時。23日からは9時から15時とした。尚、断水は2月25日までつづいた。
発災後2週間の受診者状況:1月前半の受診者のうち初診患者の割合が41.3%、後半は受診者のうち初診者は22.6%。震災前と比べ初診患者が多かった。受診患者の年齢層は、前年と比較し70歳代で多く、20歳前の若年層では少なかった。主な疾患別受診割合は、高血圧39%、狭心症12%、急性気管支炎8%、慢性胃炎5%、高コレステロール血症・不眠4%であった。尚、発災直後の血圧変化は、前年3月と比較し、収縮期血圧は発災後2週間は 10mmHg以上の上昇があり、同年3月の血圧でも約5mmHgの上昇が続いていた。一方、拡張期血圧は、発災後2週間は約5mmHg, 3月には数mmHgの上昇が診られた。感染症については、2024年1月~3月では、COVID-19:64%、急性腸炎:24%、インフルエンザA:7%、インフルエンザB:5%であった。

発災後2年たって

 奥能登の人口減少率は震災前の2倍となり、約2割減少と言われている。特に生産年齢人口の減少が顕著である。この地域の個別住民健診(特定健診、後期高齢者健康診断)では、2024年度の受験者数は、前年に比べ4割程度減少している。
 震災直後には、避難生活で生活環境に大きな変化があった。震災前の12ヶ月と仮設住宅入居開始以降の12ヶ月との比較では、新患初診の割合は3%程度減少している。
 2025年6月末で能登半島地震における医療の窓口一部負担金免除は終了した。小木クリニックにおける2024年の窓口負担金免除者は総受診者数の15.7%、平均年齢76.5歳、加入保険別は後期高齢者医療が53%、国保が26%であった。受診理由は、生活習慣病の治療継続が86%であった。免除終了前後4ヶ月の月平均受診回数の比較では、免除終了前 1.097回、終了後1.078回で差はなかった。また、月平均診療報酬点数の比較でも差はなかった。瀬島先生は、経済的に大きな被害を受けた患者が有事においても、医療から離脱せず、必要な治療を継続することができていたと指摘している。
 高齢化と過疎化が進む地域では、震災の影響が大きい。健診を含めた住民の受診機会が減少している。それらの原因として以下の点を指摘している。①社会環境問題:家族構成の変化、地域コミュニティの変化、医療過疎、公共交通機関の減少など。②身体的問題:フレイルの悪化、認知症の進行など。③こころの問題:不安、飲酒量の増加、不眠、抑うつ状態など。④経済的問題:就労場所の減少、生活困窮など。⑤これらの問題の複合。
 医療機関の問題では、人口減少により新患初診率が減少。看護師・介護士・薬剤師など医療専門職不足の深刻化。地域医療・在宅医療の継続限界点が近く、医療・介護の空洞化が懸念される。患者が必要な医療から離脱しないように、受診行動の変化について、医療提供側は経過観察する必要があると指摘している。
 これらの経験を通じ以下のように課題をあげている。①この地域での復興には、集約、淘汰、消滅など受け入れなければならない現実があるかもしれない。②持続可能な地域医療を提供するために、「医療財政への負担増大」「受診行動への影響」「制度の公平性・地域格差」「医療機関側の経営への影響」「医療打ち切りによる影響」を考慮しアプローチする体制を強化することが重要である。③医療過疎化した町ではかかりつけ医が、多職種連携し、地域と共に伴走できる在宅医療体制を構築し、ここで住む人々が受療機会を失うことのないための対策が必要である。
 更に、災害大国日本の2040年問題として、能登半島で今抱えている医療課題が、近い将来の日本の課題にならないように対策を考えなくてはならないとまとめている。

オンライン診療、特にオンライン診療受療施設に関して
 改正医療法との関わりで、オンライン診療も話題になった。
 瀬島先生は、小木クリニックの診療圏では、オンライン診療が必要であり、オンライン診療受療施設が有用あるとし、特に”D to P with N“の形が必要であることを強調していた。オンライン診療施設において、看護師の補助業務により、採血・注射・エコー検査が可能となり、衛生保持等について補償されることを期待しているものと思う。
 同時に、オンライン診療受療施設の運営主体については、具体的な話はなかったが、慎重な配慮が必要との意見であった。また、運営主体は届け出制ではなく、認可制にすべきという私の意見に賛意を示していた。

事業継続計画(以下、BCP)

 改めて、小木クリニック瀬島先生のBCP取り組みについて述べる。
 以前、WEBでの意見交換の折に、BCPが役に立ったと話されていた。今回も具体的な内容を伺う時間的な余裕はなかったが、先生がこれまでまとめていた資料を頂いた。私なりに整理してみた。
 厚労省の在宅医療の災害時における医療提供体制強化支援事業専門委員会の「BCP策定の手引き      在宅医療を提供する診療所編」に基づいて、小木クリニックのBCPを準備したと思われる。
 小木クリニックのBCP策定の目的は、地域医療の信頼を維持することであった。
 クリニックは高齢過疎及び医療過疎地域での医療資源の一つであり、有事の際には外部からの急速な応援が期待できない地域である。そのため、自助共助互助で医療を再生できるように、平時から備えと訓練を実施し、医療提供の継続を目指した。
 策定にあたっては、関係者全員が参加することで、BCPが自然と共有・定着する体制をつくるよう心がけた。
 尚、小木クリニックのBCP「仮設」とその「検証」は以下のとおり。「仮説」は、地域に根ざした診療所が機能することで被害の拡大を防ぐことができるとした。「検証」すべきことは、①地域医療の信頼を維持することができたか? ②平時のマネジメントが有事のBCPマネジメントとして対応出来たか?
 更に、BCPが実際の災害にあたって、地域住民の健康維持に役に立ったかを検証する作業を本格的に進めようと考え、 積極的に臨床研究をすすめていると伺った。私の小木クリニックのBCPに対する理解は不十分であるが可能な範囲で紹介したいと考えた。今後の奮闘を期待したい。

 短い時間であったが、瀬島先生のお話を伺えたことは大変有意義であった。

【能登訪問記④】
講演「能登に伴走して」
 7日には能登町から金沢に移動し、18時よりホテル金沢で、石川県保険医協会総会の特別講演を聴講した。講師は北陸学院大学の田中純一教授であった。以下、講演のメモ、レジュメ等から講演などの印象深い指摘・危惧等を記載する。
はじめに「復興という言葉を使うことにためらいがある。住み続ける人の足を引っ張っている。4mの隆起が起こった。これに合わせて生きてゆく。ここで生きる覚悟が必要である。これを支えて行くのが大切である。」と述べられた。

前から分かっていたこと

 「能登では孤立する集落が各地で発生する」「医療・介護・福祉のニーズがある住民が多い」「最初の1ヶ月の間に既往歴のある高齢者の命を如何に守るか」の3点を挙げ、結果は、2007年能登半島地震の教訓が生かされていない。また、東日本大震災の教訓も生かされていない。

忍耐・根性・我慢①  避難所生活

 避難所の様子は、東日本大震災を思い出させるものであった。更に、奥能登では指定避難所と福祉避難所を分ける必要は無い。すべてが福祉避難所の機能を持つ必要があった。
 更に在宅避難、車中避難しか選択できない被災者がいた。
災害関連死
 1ヶ月で亡くなる人が多い。実態はより深刻な可能性がある。申請主義の弊害がある。
 1人暮らしでは申請する人がいない可能性がある。

忍耐・根性・我慢② 1.5次避難所から2次避難所へ

 避難場所を転々かえざるをえなかった。以下のような経験をした被災者がいた。避難小屋→指定避難所→金沢市内の避難所→ホテル(新幹線開通に伴いホテル明け渡し)→白山市内→仮設住宅と。移動の連続により心身は疲労した。
 避難場所によって、明暗が分かれる。避難小屋では温かい食べ物が用意された。1.5次には、ドクター、ナースがいた。2次避難所は自己責任で、自分でできる人は行けと言われた。2次避難所では、ほったらかしだった。自宅に行きたくとも移動手段がなかった。
 広域避難に向けた自治体間の連携準備不足、混乱のしわ寄せは避難住民に。

助け合わない日本・命令としての助け合い

 幸福感に関する大規模国際調査では、「親しい友人がいる」「社会的サポートを受けている」で日本は群れを抜いて低い結果である。
 社会的サポートは助け合いで、ボランティアを前提にした復旧が策されている。本来は、ボランティアは補助的であろう。一方この時期、災害ボランティアは県知事から自粛を求められた。

 災害対策基本法改正(2025)
 NPO・ボランティア団体を国が「被災者援護協力会」として登録する制度を創設した。 2026年2月現在19団体が登録している。登録時審査要件に行政と連携して支援活動を行った実績の有無がある。また、都道府県知事が登録団体に協力を命じることを可能にする規定がある。
 助かる社会    災害リスクを最小にするために
 「助ける―助けられる」の関係も大切であるが、国・自治体が「助かる」社会をつくること(例:住宅耐震の補助など)が大切である。公助による「助かる」社会基盤の構築が、自助・共助の強調に先だって必要なことである。
被災者が住みたいところで、住み続けることのできる社会を作ることが求められる。これは国・自治体の責務である。

忍耐・根性・我慢③  仮設住宅、災害公営住宅

 仮設住宅は誰が入居するかといったことが考慮されない建物であり、住民は仮設に合わせるしかない。
 災害公営住宅は、3年間は家賃負担がゼロ。4年目から家賃負担に耐えられない住民の転出増が懸念されている。

災害公営住宅入居期限問題
 2007年の能登半島地震で公営住宅の需要が高まったことを受け、穴水町は民間オーナーが所有する住宅を”やすらぎマンション”として一棟借り上げ、被災者に向け「賃貸貸」で公営住宅を提供した。この制度は前例になると評価される。しかし、入居期限が2024 年4月(2026年3月まで延期)までで、入居者は借り上げ期間満了の4か月前まで、継続入居ができるかわからない不安定な立場である。更に、転居となった場合、①それまで築いた生活基盤の喪失、②健康リスクの増加する恐れがある。尚、住民意向調査では、全員が転居は「とても不安」「多少不安」、継続居住を「希望」していた。穴水町は「住み続けたい」という入居者の意思をしっかり受け止めるべきと田中先生は指摘している。

生活の復興・再生のために欠かせないこと     以下のようにまとめている

 能登に暮らし続けたい人がいる。能登に移住を決めた人もいる。
 公営住宅の家賃の見通しがないなど、出てゆく方向ではあるが…。
重視されるべき視点
・住民が何に重点をおいているかに敏感になること。
・被災者の声の先にある<小さな復興>を、<大きな復興>に優先させること。
・被災者一人ひとりの関係史を見逃さないこと。
・声なき声を見逃さない、見過ごさないこと。
再生の鍵
「海との関わり」「山との関わり」「畑との関わり」「先祖との関わり」をいかに丁寧に読み解くかが必要である。
住むことの重層性から地域の復興・再生を捉える
・人と人、人と自然、人と文化の関わりの重層性。
・世話する対象の多さ、近隣住民、自然(海、山、川)、畑、先祖。
・住民の日常対象と関わる過程に自分らしい生き方、暮らし方を見出している。
・人と人とのつながり、人と自然とのつながり、人と先祖とのつながりの日常性を取り戻すことのこだわり。

記)学生ボランティア

 田中先生は今回の災害に当たっても、キリスト教関係の大学の学生に呼びかけ、ボランティア活動を行っている。
孤立した小さな集落への活動
 奥能登には集落が散在している。道路が地震で寸断され、孤立した集落が少なくない。特に、数軒の小さな集落への支援は遅れた。田中先生たちのグループは、小さな集落への支援に力を入れたようだ。
 本来の道路をたどることは困難で、海岸線の隆起したところをたどって、支援に向かったところもある。「前進が困難」とのメンバーの訴えもあったが励ましあった。保険医協会の会員の医師が参加したことに感謝していた。医療者のメンバーがいないと、医療活動ができない。血圧を測り、アドバイスし、時には治療を行ってもらったと。
泥の掻き出し
 小さな集落には、泥搔きも手をつけられないでいたところがあった。そこに先生たちのグループが入り、住民が励まされ動き出したり、行政が入ったりするきっかけになった。
学生の反応
 キリスト教系の大学にボランティアを呼びかけた。授業を休み、バイトを休み、自費で能登に来た。宿泊施設は何とか無料にしたいと考え、教会の礼拝堂や銭湯の脱衣所に泊まらせてもらったこともある。ある大学の女子学生が、礼拝堂のかたい椅子に寝袋で寝た時のこと。朝になって「どうだった?」と聞いたら、「神に守られ安らかにねむれました。」と答えたそうで、先生は「気を使ってくれた。」と笑っていた。

感想

 瀬島先生、田中先生、石川県保険医協会の先生方は、被災者の支援に懸命である。特に、それまで住んでいた被災地に引き続き住みたい被災者の支援に懸命である。このような取り組みがなければ、早晩被災地の多くが消滅してしまう恐れを感じた。更に、被災地で住み続けることができるためには「助かる」社会である必要があり、それは国・自治体の責務であるとの指摘があった。自助・互助ではなく、公助の重要性を指摘している。
 被災地の復旧・復興・再生は、被災地のためだけではない。金沢の胃袋を支えているのは能登半島との話がある。河北新報(2026年3月22日付)によると、今回の能登半島地震、豪雨での奥能登の被災農地は916㌶で、復旧したのは384㌶である。約4割。これでは農業生産は維持できない。漁業も大きな被害を受けている。金沢の胃袋は支えられない。被災地の復旧・復興・再生は被災地だけの課題ではない。
 それにしても、国・自治体の撤退姿勢は早すぎないか。医療費の窓口負担免除は終了している。石川県保険医協会は、アンケート調査の結果で「免除終了が通院に影響 69.4%」であり、被災者の心と身体の健康を守るために免除再開の署名運動を行っている。災害公営住宅の家賃ゼロは3年間に限られている。4年目からの家賃負担に伴い人口流出が懸念される。

 2026年3月27日 (文責 北村龍男)
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