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講演要旨「宮城県保険医協会 第47回『“2035年”医療の行方を占う〜急ピッチで進む医療制度改革、その鳥瞰図〜』」

講演要旨
宮城県保険医協会 第47回定期総会記念講演
「“2035年”医療の行方を占う〜急ピッチで進む医療制度改革、その鳥瞰図〜」
m3.com 編集長 橋本佳子氏
1.昨今の制度改革の代表的な動き
 昨今、実にさまざまな制度改革の動きがある中で、幾つか代表的な動きを取り上げ、概説します。
⑴ 2015年 「保健医療2035」と「骨太の方針2015」
 厚労省において、「保健医療2035」という報告書が2015年にまとめられました。ここで提言された内容が今進められているさまざまな検討の土台になっています。報告書で最も言いたかったことは、2035年に向けて以下のパラダイムシフトが起きるということです。
① 「量の拡大」から「質の改善」
 医療提供体制の不足に対して進めてきた医療機関や医師の量的拡大を、データやエビデンスにより質の改善を図る動きが加速する。
②「インプット中心」から「患者の価値中心」
 多種多様な患者にどのような医療を提供するか。患者中心の医療に拍車がかかる。
③「行政による規制」から「当事者による規律」
 大きな政府から小さな政府へ。医療者および患者、国民が個々の規律によってさまざまな制度を動かしていくよう転換する。
④「キュア中心」から「ケア中心」
 高齢者が増えれば、治療しても患者が社会復帰できるとは限らず、その後のケアおよび社会復帰に向けた取り組みが重要になる。
⑤「発散」から「統合」
 医療提供体制の整備から、病院間や病院と診療所間の連携、医療と介護の連携、福祉との連携と量的な整備、統合が進む。
 「骨太の方針2015」は、2016年から2018年までの3年間を集中改革期間として位置づけ、高齢社会に向けて社会保障費の伸びを3年間で1.5兆円程度に抑えるということを閣議決定しました。これを基に2016年度の診療報酬改定が実施され、2018年度の診療報酬・介護報酬の同時改定もこの枠組みの中で行われます。
⑵ 2016年度 診療報酬改定、新専門医制度とオプジーボ問題
 2025年に向けた地域包括ケアシステムと効率的・効果的な質の高い医療提供体制の構築を図るという位置付けで、2016年度の診療報酬改定は実施されました。
 勤務医の関心が非常に高い新専門医制度は、2017年4月から開始する予定でしたが、「新たな仕組みの導入によって地域医療への影響が大きいのではないか」「大学や大病院に医師が集中するのではないか」など、制度への懸念が呈せられ開始を延期し、さまざまな場で議論され、関係者の合意に近づきつつあります。
 2016年の後半から2018年度の診療報酬改定に向け、政府と医療界、特に製薬業界の関心が高いのが、薬価制度の抜本改革です。発端は「オプジーボ」。もともとこの薬は希少疾患である悪性黒色腫に開発された薬です。その後、非小細胞肺癌に適応拡大され、1兆7500万円(年間3500万円×約5万人)が薬剤費としてかかるという推計もあり、国家財政に対する影響が大きいということで、薬価制度の抜本改革に向けた議論が一気に高まりました。
 オプジーボ問題を端に薬価制度の抜本改革が、2016年12月の4大臣合意と経済・財政諮問会議で決まりました。オプジーボのように薬価収載された当初から効能・効果が拡大された場合、年4回の薬価収載に合わせた薬価引き下げ、薬価の毎年調査などが盛り込まれています。
 薬価の在り方以上に、医師の立場として注目すべきなのが、「最適使用推進ガイドライン」が、オプジーボのように高額薬剤・機器で策定されるようになったこと。策定も、その遵守も、またガイドラインで対応しきれない症例についても対応するのは医師。プロフェッショナルオートノミーが求められる時代になっていると言えます。
⑶ 2017年 医療費の地域格差と医師の働き方改革
 2017年4月6日に厚労省の「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会」が報告書をまとめました。「保健医療2035」と繋がるもので、パラダイムシフトが必要という精神が貫かれていて、おおまかに3つの柱にまとめることができます。
 第一は「能力と意欲を最大限発揮できるキャリアと働き方のサポート」。第二が「地域主導で医療・介護人材を生み育み住民の生活を支える」。第三が「高い生産性と付加価値を生み出す」。異論が出ている一つが、医師の仕事の一部を看護師等へ移譲するタスク・シフティング。本当に医師がやらなければならない仕事は何か、どこまであるか、それを見極めた上で各職種と役割分担し、連携していくべきではないかという考えが根底にあります。
 「骨太の方針2017」が近くまとまると思いますが、医療費の地域格差というキーワードが打ち出されているのが特徴の一つです。厚労省の研究班と内閣府の検討会で進められていますが、ナショナルデータベースやレセプトデータにより、さまざまな医療行為の地域差が分析できるようになっています。。疾病構造の違いか、診療の習慣の違いか、その理由は分かりませんが、医療費に地域格差があることは事実です。「骨太の方針2017」から2018年度診療報酬改定にかけて、これを縮小する圧力が強まると思います。
 診療報酬と介護報酬の議論が具体化する中で、医療者自らが考えなければならない問題に、医師の働き方改革の動きがあります。医師は適用外になりましたが、2年後から新たに法律が施行され、一般職・一般企業は時間外労働の上限規制が導入されます。医師は現時点で長時間労働であり、医師法に基づく応招義務等の特殊性を踏まえた対応が必要であることから、施行5年間の猶予が設けられました。応招義務の在り方も含め医師の仕事、医師の働き方、医療の在り方が今後の検討でどうなるか、注目されるところです。
2.20年前と20年後
 将来を見通すためには、需要(人口構成、疾病構造変化)、供給(医師数、医師の役割の変化)、価値観(患者の考え、医師の働き方)――という3つの視点から考えていくことが必要です。
 1990年と2000年の人口構造、2035年の予想を比較すると大きく変化しているのが分かります。1990年はまだ40代以下の人口が相対的に多いと言えます。しかし2000年は、圧倒的に65歳以上の人口が多数を占めています。2035年は65歳以上が人口の3人に1人になると推計されています。人口構成が変われば、おのずから疾病構造も変わります。
では、供給である医師数は今後どう変化していくか。20年前は医師過剰時代が到来すると医学部の定員を一時期減らしました。しかし、医療崩壊が叫ばれ、深刻な医師不足や医師の過剰労働が問題になり、2008年度から医学部定員増へ舵を切りました。この10年間で医学部定員は1795人も増加し、2016年厚労省は2024年くらいには医師の需給が均衡すると推計しました。さらに先述した「保健医療2035」で打ち出されたようなパラダイムシフトや価値観の変化が加速するのが今後の20年間だと考えます。
3.制度改革を読み解き、対応するためのキーワード
 さまざまな動きに横串を刺し、5つのキーワードにまとめてみました。
(1)データ
 地域医療構想では、2025年の医療提供体制に向けて地域医療をどのように構築していくか、データの可視化を進め、議論が進められています。
診療報酬改定でも、エビデンスに基づく議論が行われるほか、一部の医薬品と医療機器に費用対効果評価が導入されます。
 診断支援や創薬に活用しようとAI(人工知能)も注目されていますが、その基になるのは、日常診療から蓄積されるデータです。電子カルテやレセプトデータを基に、人工知能を使って診断のロジックを作り、診断支援をする取り組みが進んでいます。そのほか、国民一人一人が自身の保健医療のデータ管理をする「EHR、PHR」の導入も検討されています。
(2)インセンティブ
 予防に力を入れて病気になる被保険者を減らすというミッションのもと、各保険者が特定健診や特定保健指導に取り組んでいます。それにより医療費の抑制や何らかの成果を上げた保険者に対しては高齢者支援金を減算する。保険者が健康予防、ダイエットなどに取り組む加入者に対してヘルスケアポイントを付与するという取り組みもあります。このように保険者と国民に対するインセンティブ改革が今後、高まってくるのではないかと考えます。
(3)患者(主権)
 「EHR、PHR」は、患者主権の取り組みの代表例です。
 患者自身が自分の健康問題に対して関心を持つことが重要であり、市販薬でも一定程度管理できるのではないかという考えのもと、進められているのが、スイッチOTC化やセフルメディケーション税制。ただし、これも行きすぎると病気なのに自分で治そうとして、受診する時には重症化してしまう恐れもあります。
 また、個人の選択に応じた負担や応能負担の考え方も導入されつつあります。
(4)地域(主権)
 地域包括ケアシステムが、2025年に向けて地域単位で構築が進められています。
 さらに、今まで厚労省が一極集中で全国統一の仕組みでやってきたものを、地域によって医療事情や財政事情が違うということから、都道府県のガバナンス強化も進みます。医療計画も地域医療構想も、地域単位です。ほかにも、都道府県単位、市町村単位という枠組みがさまざまなものに適用されてくると考えます。診療報酬の地域差もあります。地域差を解消するための議論だけでなく、地域によって診療点数を変えても良いのではないかという意見もあります。
(5)プロフェッショナリズム
 高額薬剤の「最適使用推進ガイドライン」、新専門医制度、医療事故調査制度、生殖補助医療、出生前診断、再生医療、AI(人工知能)、終末期医療や看取り……。プロフェッショナリズムが求められるが場面が多々あります。
 医療は医学の社会的適応とも言われます。医師自身は純粋なサイエンスですが、それを医療として目の前の患者に提供する、もしくは医療提供体制を構築するには、さまざまな利害関係が関係します。医療が対象とする患者・社会は複雑系で、人口の高齢化、制度も複雑化する中で、医療を提供していかなければならないことは、まさに複雑な連立方程式を解いていくようなものです。そのために求められるのがプロフェッショナリズムだと思います。
 さまざまな制度改革が進む中で、常に医療の意味を考える。しかし、社会への適用に当たっては、説明責任を果たさなければ、患者をはじめ社会から納得は得られず、合意形成できません。プロフェッショナルな存在として説明責任を果たすことも求められます。その上で実践、つまり臨床応用あるいは制度下につなげる――。常にこのサイクルを回していくことが、問題解決には求められるのではないかと日々の取材を通して感じています。
文責:宮城県保険医協会

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寄稿「社会保障制度基盤の崩壊を招く『我が事・丸ごと』地域共生社会の本質」芝田英昭氏

寄稿「社会保障制度基盤の崩壊を招く『我が事・丸ごと』地域共生社会の本質」
立教大学 コミュニティ福祉学部 福祉学科 教授 芝田 英昭

はじめに…「地域共生社会」は何を目指すのか
 2017年5月26日「地域包括ケアシステムの強化のための介護保険法等の一部を改正する法律(以下「介護保険法等改正法案」)」が、参議院本会議にて可決・成立しました。同法は、厚生労働省に設置された「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部(以下「実現本部」)」がとりまとめた「『地域共生社会』の実現に向けて(当面の改革工程)」に従って提出され、同文書は2018年以降の改革工程も具体的に示しています。
 しかし、改革工程が目指すのは、介護保険法の改正だけに止まりません。今回の介護保険法等改正法は、介護保険法、健康保険法、児童福祉法、医療法、社会福祉法、老人福祉法、生活保護法、子ども・子育て支援法等を含む31法の改正で、多岐に渡ります。
1.「地域共生社会」と社会保障概念の矮小化
 実現本部の「社会保障」概念理解は、極めて偏向しています。改革工程本文9ページの内で「社会保障」の単語は2度しか使用されず、ほとんどが社会保障を「公的な支援制度」、「公的支援」、「保健福祉」、「福祉分野、保健・医療」、「保健、医療、福祉」と言い換えています。
 また、実現本部の「社会保障」は、「工業化に伴う人々の都市部への移動、個人主義化や核家族化、共働き世帯の増加などの社会の変化の過程において、地域や家庭が果たしてきた役割の一部を代替する必要性が高まってきた。これに応える形で、(中略)高齢者、障害者、子どもなどの対象者ごとに、公的な支援制度が整備(下線筆者)」[厚生労働省(2017)、p.1]された、との認識にも疑問を持ちます。
 現代社会(資本主義社会)は、生産手段を所有している人以外は、賃金労働者であり自らが持てる労働力を売ることで初めて生活(労働力の再生産)できます。ただ、賃金は、「労働力の平均的な対価」ですから、個々が抱える生活問題(生活過程に起こる社会問題。具体的には、失業、保育、介護、疾病、障害などから生起する生活困難等)全てを個人で解決できるだけの金額は支払われていません。したがって、労働者が生活問題を抱えれば、いとも容易く人が人らしく生きるレベル(健康で文化的な生活)を下回ってしまい、生存権を侵害することになります。つまり、社会保障は生活問題を緩和・解決するための制度・政策であり、そのことを通して生存権を保障する機能を有しています。
改革工程は、社会保障を家庭や地域の役割の代替制度だとすることで、地域課題解決の責任を地域住民や個人にすり替え、その多くを女性に押し付けようとしています。
2.自助・共助を強調する地域共生社会
 実現本部は、地域共生社会を「地域住民や地域の多様な主体が『我が事』として参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えて『丸ごと』つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会」[厚生労働省(2017)、p.2]としています。理念的には理解できますが、その実態は国や自治体の責任を曖昧にし、地域住民に地域生活課題解決の責任を丸ごと丸投げする方向です。
 社会福祉法改正では、4条(地域福祉の推進)に新たに、「地域住民等は、地域福祉の推進に当たっては、福祉サービスを必要とする地域住民及びその世帯が抱える福祉、介護、介護予防、保健医療、住まい、就労及び教育に関する課題、福祉サービスを必要とする地域住民の地域社会からの孤立その他の福祉サービスを必要とする地域住民が日常生活を営み、あらゆる分野の活動に参加する機会が確保される上での各般の課題(地域生活課題)を把握し、地域生活課題の解決に資する支援を行う関係機関との連携等によりその解決を図るよう特に留意するものとする(下線筆者)」との項目が加えられました。確かに、地域住民が抱える課題は、多岐にわたり「福祉領域」に限定するのは困難です。しかし、相談支援体制は、公的な制度となるのでしょうか。
3.総合的相談窓口の設置
 「地域の住民が抱える課題について、分野を超え『丸ごと』の相談を受け止める場」[厚生労働省(2017)、p.5]を設置する。また、住民が抱える課題は、「福祉分野だけではなく、保健・医療、権利擁護、雇用・就労、産業、教育、住まいなど(下線筆者)」[厚生労働省(2017)、p.5]であるとしています。この相談窓口一元化を、先ず2017年度全国100カ所でモデル事業として実施し、法改正を通じて2018年度より全国で実施するとしています。
 しかし、相談体制は、「例えば、地区社協、市町村社協の地区担当、地域包括支援センター、相談支援事業所、地域子育て支援拠点、利用者支援事業、社会福祉法人、NPO法人等」[政府(2017)、p.4]であり、自治体が公的責任に則り独自に総合的相談窓口を設置するのではなく、社協等に委託され、これまで自治体が直接行ってきた福祉関係の相談や様々な行政サービスも外部化・縮小が懸念されます。
4.共生型サービスの創設は、介護保険法と障害者総合支援法の一元化の第一歩となる
 介護保険法等改正法は、「高齢者と障害者が同一事業所でサービスを受けやすくするため、介護保険と障害福祉制度に新たに共生型サービスを位置付ける」[政府(2017)、p.1]とし、児童福祉法上の指定事業者(居宅サービス等の種類に該当する障害児通所支援に係るものに限定)、または障害者総合支援法上の指定事業者(居宅サービス等の種類に該当する障害福祉サービスに係るものに限定)から、介護保険法の訪問介護・通所介護等の居宅サービス事業に申請があった場合、当該事業に照らして、都道府県または市町村が「共生型サービス事業者」に指定するとしています。
 障害者にとって64歳までのサービス量に比べ、65歳からのサービス量は介護保険適用で激減し、自己負担も増えているのが実情です。この点の改善がないまま、同一事業所でサービスが受けられるメリッットを強調しても、当事者の納得は得られません。また、共生型サービス導入の狙いは、介護保険法と障害者総合支援法の統合であり、その第一歩です。共生型サービスの導入で、サービス供給面において両法の統合を図り、その利便性を強調して、一気に統合への道筋をつけようとしています。
5.地域共生社会と国民監視国家の親和性
 2013年9月に「マイナンバー法」が成立(2015年9月改正)し、2015年10月に施行されました。翌年明けから自治体ではマイナンバー・カード(任意)の交付が始まりましたが、交付の際「顔認証システム」での本人確認が行われ、膨大な顔認証データが、自治体に蓄積されいます。
 また、「刑事訴訟法改正法」が2016年5月に可決・成立し、取り調べの可視化、司法取引の導入、通信傍受(盗聴)の拡大、等が盛り込まれました。捜査当局による盗聴は、国民的批判の下、暴力団関係の組織犯罪4類型に限定し、通信事業者の常時立会いを義務付けすることで1999年に成立しました。しかし、2016年改正法は、盗聴対象を組織犯罪4類型から、窃盗、詐欺、恐喝、逮捕監禁、傷害等の一般犯罪を含む広範囲に拡大し、実質的に一般市民を盗聴対象としました。また、通信事業者の立会い義務を外したことで、国家が常時国民を監視できることになりました。
 さらに、2017年3月21日には、犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正法が閣議決定されました。
 この一連の流れから見えてくるのは、国民が国家から常時監視されていることで、民主的な政治的発言や行動・活動をしにくくする狙いが透けて見えてきます。また、監視社会の徹底化を図る目的で「住民相互の監視システムと密告」装置を構築させようとしています。それが、まさしく「現代版隣組制度」としての「地域共生社会」ではないでしょうか。地域生活課題を我が事・丸ごと関わる住民が「国民」であり、関われない・関わらない人は「非国民」としてあぶり出していく可能性があります。
おわりに…共同の力と繰り出し梯子理論
 ウェッブ著『防貧策』(1911年)は、社会福祉領域における公私関係論を論じた歴史的著作と言われています。ウェッブは、「この理論(「繰り出し梯子」理論:extension ladder)のもと、新たな支援方法を常に追求し、困難な事例に対しても愛情に溢れたケアを心がけ、宗教的背景をもつ民間部門が、公的機関だけによって実施される比較的低水準のサービスを上回るサービスを実践・実施することで、結果的に公的サービスにおける健康で文化的な水準を押し上げる効果がある」(Webb, S. & B. [1911] p.252)と指摘しています。この「繰り出し梯子理論」には、現代にも通じる示唆があります。
 地域における住民共同の運動・実践が、公的サービス(社会保障やその他の公共サービスも含む)を上回る内容を有することがしばしばあります。この住民共同の運動・実践が、私的サービスを公的サービスに昇華させれる流れが、あたかも繰り出し梯子が伸びるように見えることから、そう命名されました。例えば、介護保険における訪問介護事業は、1956年に長野県で制定された「家庭養護婦派遣事業」を端緒として、その後大阪市など革新自治体に広がり、結果的に1963年老人福祉法12条に「老人家庭奉仕事業」として法定され、2000年施行の介護保険法では、8条2項に明記されました。
 また、保育運動においても、同様の状況がありました。1960年代の高度経済成長に伴い女性労働者の増大の中、労働と保育の両立を求めて、「ポストの数ほど保育所を」を合言葉に大きな運度が広がり、結果的に公的保育所(認可保育所等)の増設につながりました。
 現在政府が言う「地域共生社会」は、社会保障等の公的サービスを縮小したところに、その代替として地域住民に地域課題解決責任を押し付けるものですし、住民共同の運動・実践とは全く異なるものです。
 住民共同の運動・実践は、その目的に公的責任の強化、あるいはその実践を公的制度に押し上げる狙いがありますが、「地域共生社会」は、そもそも公的責任を捨象し住民の自助・共助(助け合い)に変質させることを狙っていることを鑑みれば、ますます住民共同の運動・実践が必要になってきたと言えます。
引用参考文献:
・厚生労働省(2017)「『地域共生社会』の実現に向けて(当面の改革工程)【概要】」、我が事・丸ごと地域共生社会実現本部、2017年2月7日。
・厚生労働省(2016)「地域包括ケアの深化・地域共生社会の実現」、我が事・丸ごと地域共生社会実現本部第一回会合、2016年7月15日。
・政府(2017)「地域包括ケアシステムの強化のための介護保険法等の一部を改正する法律案のポイント」、2017年2月7日。
・Webb, Sidney. & Beatrice. [1911], The Prevention of Destitution, Longmans, Green & Co.

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講演要旨「拡大する高齢者の貧困と現状―『下流老人』から社会に働きかける―」(2017.4.1)

拡大する高齢者の貧困と現状―「下流老人」から社会に働きかける―
特定非営利活動法人ほっとプラス 代表理事
聖学院大学人間福祉学部客員准教授   藤田孝典
 日本には高齢者の貧困が広がっています。わたしは貧困に苦しむ高齢者をあえて、「下流老人」と名付けて問題提起をしています。この下流老人が日本では大量に生まれ続けているのです。この造語あるいは言説に込めた想いを聴いていただけたらと思います。
 下流老人とは、わたしが作った造語であり、「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」と定義しています。2015年に『下流老人―一億総老後崩壊の衝撃―』、2016年に『続・下流老人―一億総疲弊社会の到来―』を朝日新聞出版から発刊しました。そのなかで、下流老人とは文字通り、普通に暮らすことができない下流の生活を強いられている老人だと説明しました。しかし、そのような老人をバカにしたり、見下すつもりはありません。下流といわれていい気がしないという声も多く寄せられています。
 むしろ、そのような老人の生活から多くの示唆をいただき、日本社会の実情を伝える言葉として、創造したものだとご理解いただきたいです。その下流老人は、いまや至るところに存在しています。そして数は拡大が続いています。日本総研の研究調査も同様の指摘をしています。2035年には、生活保護基準以下の生活を強いられる高齢者は全高齢者の3割に及ぶというものです。今後の日本を見据える論調はいつになく増えてきました。
 スーパーマーケットでは、見切り品の惣菜や食品を中心にしか買えずに、その商品を数点だけ持って、レジに並ぶ老人。
 そのスーパーマーケットで、生活の苦しさから万引きをしてしまい、店員や警察官に叱責されている老人。
 あるいは、医療費が払えないため、病気があるにも関わらず、治療できずに自宅で市販薬を飲みながら痛みをごまかして暮らす老人。
夏場に暑い中、電気代を気にして、室内でエアコンもつけずに熱中症を起こしてしまう老人。
 家族や友人がいないため、日中は何もすることがなく、年中室内で一人テレビを見ている状態にある老人。
 収入が少ないため、食事がインスタントラーメンや卵かけご飯などを繰り返すような著しく粗末であり、3食まともに取れない状態にある老人。
 ボロボロの築年数40年の持ち家に住んでおり、住宅の補修が出来ないため、すきま風や害虫、健康被害に苦しんでいる老人。
 わたしたちのもとに相談に来られる高齢者はこのように後を絶ちません。
 内閣府「平成22年版男女共同参画白書」によれば、65歳以上の相対的貧困率は22.0%です。さらに、単身高齢男性のみの世帯では38.3%、単身高齢女性のみの世帯では、52.3%です。日本の単身高齢者の相対的貧困は極めて高く、高齢者の単身女性に至っては半分以上が貧困下で暮らしていることになります。特に女性の貧困は高齢期にもその姿を現します。ジェンダーギャップ指数が著しく低い日本において、この女性の貧困は同様に解決すべきものだと思います。要するに、男女とも、1人分の年金が所得保障の役割を負いきれていない実態が理解できます。だからこそ、女性はより弱い立場に置かれているのです。
 現在すでに約600万人が一人暮らしをしており、うち半数近くはこのように生活保護レベルの暮らしをしています。一般世帯よりも高齢者世帯の方が貧困状態にある人々が多いのです。年金の受給金額が低いことや、働いて得られる賃金が少ないこと、家族からの仕送りも期待できないなど、収入が低い理由は多岐にわたります。
 そして、深刻なのは、下流老人の問題は現役で働く世代も将来陥る問題であるということです。現在65歳の人で20歳から60歳まで厚生年金に加入していて、40年間(480カ月)保険料を払ったとします。年収が400万円を超えて平均月給与が38万円の場合、厚生年金部分は、年間約120万円支給されます。国民年金部分は、年間約78万円支給されます。だから、合計金額は約198万円で、月に直すと約16万5000円が支給される年金ということになります。
 あるいは、そこまでの収入がない場合もあります。現役世代の賃金は非正規雇用の拡大などから下がっているわけですから、平均月収が38万円もないという場合も多いです。40年間の平均給与が月25万円で計算してみます。そうすると、現在65歳の人は、厚生年金部分は約79万となり、国民年金部分は78万となります。合計しても157万であり、月額 約13万円しか支給されないのです(日本年金機構の水準により計算)。
 国民年金のみの場合では、年間の支給額は約78万円だけであり、月額は約6万5000円です。そして、これから年金支給額は実質的に下がることが予想されています。この支給水準を保つことも難しいのです。
 そして、非正規雇用や不安定雇用が拡大し続けているなかで、それ以下の年収であれば、生活保護基準を割り込んだ年金支給額しか受け取ることができない場合も多く想定されます。さらに、忘れてはいけないのは、年金受給者には課税や保険料徴収があることです。実質の手取り金額は、ここからさらに数万円減少するのです。
 高齢期は病気や介護など予期せぬ出費が増える時期でもあります。それまでに、個人的にも政策的にも、相当な準備をしておかなければ、下流になってしまうといえます。高齢者の貧困は、とても自己責任などといって本人を責めていられるような悠長な状況にはありません。
 では高齢者の貧困に対して、私たちはどのように対抗したらいいのでしょうか。対策には個人的なレベルと社会的なレベルがあります。まず個人的なレベルですが、定年後も一定の収入を得る方法を構築しておくことも大事です。専門的な技術やスキルを活かして働き続けることが求められます。可能であれば週に数日でも所得を補う上で、労働収入は重要だと思います。さらに、貯蓄や資産形成をしておくことが言うまでもなく大事ですが、資産は金銭的なものばかりではありません。人間関係も資産だと考えます。お金がなくても家族や友人、近隣に一部を補ってもらいながら暮らしている高齢者もいます。うまく周囲に「依存」することができる関係性を築いておく必要があるのです。経済的な対策に限らず、日本年金者組合など高齢者の集団に所属したり、組織での連帯を強めていくことも重要だといえます。
 さらに低年金や低賃金の場合、最低生活費に足りない分を生活保護費として受け取ることも可能です。生活保護はお住いの福祉課で申請することができます。ご自分の自治体の最低生活費はいくらなのか、気軽に問い合わせてみてください。その額に満たなければ生活保護が受けられます。生活保護というと恥ずかしいという意識もありますが、そのスティグマを乗り越えていく工夫や努力が必要です。まずは困ったら誰でも生活保護が受けやすい環境にしておくように、私たちの意識も変えていかなければならないと思います。
社会的なレベルでは、政府や自治体に対して、低年金でも暮らせるような生活インフラや社会資本を整備するように求める必要があります。例えば、日本は先進諸国でも有名な住宅費負担が重たい国です。住宅ローンの返済や家賃に多くの支出をしています。公営住宅や社会住宅を今のうちから増やし、家賃補助制度を導入することも求めなければ、住宅すら失いかねない老後が待っています。要するに、収入が少ないのだから、支出も少なくて暮らせるような社会にしなければならないのです。
 そのためには全国で増え続ける空き家を活用する方法もあります。埼玉県越谷市では「越谷市住まい・まちづくり協議会」が空き家バンクを設立し、地域にある空き家を住民と協議しながら活用する取り組みが始まっています。空き家を借りたい人やNPOへ仲介する取り組みです。この他にも空き家活用に向けた議論が始まっていますので、空き家バンクの取り組みにも注目ください。

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講演要旨「どうする?医療・介護 アベノミクスに勝てる対案」(2016.10.29)

どうする?医療・介護 アベノミクスに勝てる対案
立命館大学経済学部教授 松尾 匡

なぜ内閣支持率が高いのか
 2016年1月に、大月書店から、『この経済政策が民主主義を救う』という本を出版しました。その内容を、出版後起こったことや知ったことを含めて講演いたしました。
 まず内閣支持率をお見せしましたが、本稿執筆時点の最新データで記します。このところ安倍内閣の支持率は比較的高い水準を維持してきましたが、2016年12月3日、4日に実施されたJNNの世論調査によれば、前月より4.4ポイント増の61%となっています。不支持は36.6%と、前月よりも4.3ポイント減っています。ところが同じ調査によれば、年金制度改革法案を「評価する」と答えたのは31%、「評価しない」が55%となっています。カジノ解禁法案に対しては、「評価する」は24%、「評価しない」が55%となっています。
 この前月の調査でも内閣支持率はやはり高かったですが、同時に行われた調査で、自民党総裁の任期延長を「評価する」が29%、「評価しない」が56%、山内農水相の進退について「辞任する必要はない」は30%、「辞任すべきだ」は59%、自衛隊の「駆けつけ警護」については、賛成は34%、反対は54%となっています。
 つまり個々の政策については、安倍内閣のやることなすこと、ことごとく反対の方がずっと多いのです。にもかかわらず内閣支持率は高い。12月の調査では、自民党の支持率は34.5%で前月より2.6ポイント上昇しており、野党は民進党の8.4%以下、全部束になっても到底及びません。支持政党なしが43%もありますが、野党はそれを支持者として集めきれていないのです。
 なぜこんなことになっているのか。世論調査をすると、重視する政策のトップ2は、いつも「社会保障」と「景気・雇用」です。改憲問題などはそれに比べると少ないです。これは一貫して変っていません。
 夏の参議院選挙のときの朝日新聞の出口調査の結果もやはり同じで、トップが「景気・雇用」で30%。その次が、「社会保障」22%。比例区で自民党に投票した人のうち、憲法を変える必要はないと答えた人は32%もいて、憲法問題を最も重視して自民党に入れた人は5%しかいません。憲法問題などに関して、安倍さんに賛成できないと思っているかなりの人が、自民党に入れているということがわかります。
民主党時代はひどかった思い出
 やはり、多くの人々は、景気が一番の関心事で自民党に入れ、安倍内閣を支持していることがわかります。この背景には、このかんの長期不況で多くの人々が苦しんできた事実があります。例えば、1人当たり食物エネルギー摂取量の低落、自殺する男性の増加、身体を売る女性の増加などが、失業率の上昇で説明できます。
 こうしたことを批判して民主党政権ができたはずでしたが、その結果状況が改善されたかというと、全く逆。GDPは落ち込んでいましたし、雇用者数もリーマンショック後の落ち込みから全然回復しないままでした。後に安倍内閣ができてからは一変して、月4万人のペースで雇用が増加しています。
 民進党は選挙時に、雇用が増えたのは非正規ばかりで正規雇用は減ったと言いましたが、正規雇用が減って非正規雇用が増えていたのは、民主党政権の時代にも進行していた事態です。2014年あたりから、ようやく正規雇用は増加傾向に転じ、目下リーマンショック前の水準を回復して増えています。
 また、安倍政権になって実質賃金が減ったという言い方もしていましたが、実質賃金は民主党政権期にも基本的には減っていました。しかも安倍政権に入って、実質賃金が下がったことの大きな要因の一つは、消費税の引き上げですが、これは民主党政権のときに決めたことです。それは有権者がみんな覚えていることです。
 先の参議院選挙では、若者世代の自民党票が多いことも話題になりましたが、学生にとっては就職が人生に影響する関心事です。実質就職率で見ると、民主党政権期はちょうど落ち込んでいて、安倍政権になって伸び、リーマンショック前水準を超えて、2015年度から7割を超えています。
 日銀の意識調査によれば、景気が「良い」と答える人はいつだってほとんどいません。しかし、景気が「悪い」と感じる人、「どちらかと言えば悪い」と感じる人ともに、民主党政権時代よりも安倍政権時代は確然と減っています。「どちらかといえば良い」と「どちらとも言えない」は、民主党政権時代よりも安倍政権時代が確然と増えています。つまり、有権者の意識では、現在決して暮らしが楽だとは思っていないが、民主党政権時代はもっとひどかったと認識されているのです。これが四度にわたる安倍自民党の国政選挙圧勝をもたらしたのだと思います。
好況で安倍圧勝のチャンスか
 安倍さんは改憲の悲願のために、総選挙でのさらなる圧勝を狙い、一層の好景気を演出して解散すると思います。そのために追加の財政支出をつぎ込んでくるでしょう。安倍政権発足後一年たらずは、大規模な金融緩和と並行して公共事業の大盤振る舞いがなされ、景気を拡大させましたが、その後公共事業は消費税増税の打撃に追い打ちをかけるように削減が続き、実質政府支出全体でも頭打ちになっていました。景気が足踏みをしたのはひとえにそのせいと言えます。それゆえ、政府支出の拡大を再開させれば、好景気の演出は容易なことと思います。賃金総額は2015年後半にリーマンショック前水準を超えて増加し続けています。正規雇用を含む雇用の拡大は続き、実質賃金は上昇し、住宅建設もマイナス金利で増え、円安も始まり、安倍さんにとって好機が到来しつつあると思います。
緩和マネーを医療・介護に
 それに対抗するにはどうすればいいか。今、欧米では、日本と同様、大企業の顔色ばかり伺って大衆の困窮に手が打てなかった中道派の人気が凋落し、もっと左右の勢力が、民衆のためにおカネをかけることを主張して台頭しています。
 拙著『この経済政策が民主主義を救う』では、英労働党の最左派党首コービンさんや、EUの共産党や左翼党の連合である「欧州左翼党」、ギリシャやスペインで躍進した新興左翼政党、欧州の労働組合の連合である欧州労連などの欧州左派勢力の主張を紹介しています。共通する主張は、大企業や富裕層への課税や、税金逃れの捕捉、不要な大企業補助金のカットなどと並び、中央銀行の独立性を批判してその量的緩和マネーを使って民衆のための財政支出をまかない、景気と雇用を拡大することです。コービンさんはこれを「人民のための量的緩和」と称しています。こうした主張は、アメリカのリベラル派経済学者の、スティグリッツさんやクルーグマンさんら、多くの経済学者から支持・擁護されていることも紹介しました。
 その後知った例では、ドイツ左翼党創設者のラフォンテーヌさん、フランス大統領左翼候補のメランションさんらが、同様に、中央銀行の独立性を否定して政府財政をまかなうことを主張しています。
 北米では、アメリカ大統領選挙の民主党予備選挙で、最左派サンダース候補が五年で1兆ドルの大規模な公共投資を公約に掲げてクリントン候補に迫り、カナダで2015年に政権についた中道左派自由党のトルドー首相もまた、大幅な財政赤字を容認する大規模公共投資の公約で選挙に勝ちました。
 私たちもこれにならうべきです。左派側からこうした選択肢が出なかった時、トランプさんやハンガリーのオルバン首相のように、極右側から同様の拡大策を示した勢力が勝ちます。安倍さんが勝ち続けている日本は、その意味で、世界の最先端を走っているのだと言えるでしょう。
 財政危機論は新自由主義側のプロパガンダだというのが欧米左派の見方です。私たちもプロパガンダに騙されてはいけません。世の国債の四割は日銀が保有し、その大半は期限がきても借り換えして、元来おカネを返すことはないのです。だから、はばかることなく医療や福祉に公金をつぎ込むことを主張すべきです。景気が良すぎてインフレを抑制すべき時代には、大企業や富裕層に大きく課税して加熱を抑えればよい。不況ならば、無から作った緩和マネーで財源にすればよい。それだけのことです。

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第235回歯科学術研究会 講演要旨「軟質リラインの活用とメリット」濱田泰三氏(2016.7.29)*会員専用

第235回歯科学術研究会
軟質リラインの活用とメリット
広島大学名誉教授、元東北大学教授、現東北大学教育研究支援者、日本義歯ケア学会理事長 濱田泰三
軟質リライン…..有床義歯内面適合法、床裏装の2016年、保険導入にあたり
 日本にシリコン系軟質リライン材が紹介されたのは1962年、アメリカのダウコーニングのSilastic390が最初とされている。50年以上も前のことである。国産のニュースナッガーが1967年に登場した。ISOでも日本が規約作りにもリードしてきた誇れる歯科材料の分野である。半世紀にわたり、堅実に臨床で使われてきた軟質リラインが本年4月から保険採用となり、まさに、軟質リライン元年と言える。
 軟質リラインはシリコン系とアクリル系があり、シリコン系はやや弾性的で、アクリル系は粘弾性的、シリコン系の方が耐久性は良い。シリコン系とアクリル系のどちらを選ぶか、直接法でするか間接法でするか、加熱重合するか室温重合するかは、患者さんごとに状況により選択する。多くは次善の策を取らざるを得ない事も多い。軟質材料は汚れが付きやすいため、清潔に保つことが必須である。
 製品はいずれも、口腔粘膜の粘弾性係数に似せて作られている。これまでのたくさんの報告からは、軟質リラインが骨吸収を早める事やかえって噛みにくい等を支持するものは無く、患者さんの使用感は全て軟質リラインを支持するものである。
 軟質リライン技工を厳密に行い、メインテナンスも専用の洗浄剤使用をする事で、十分、数年は口腔内で使用できることもわかってきている。高齢者のニーズは多様であり、画一的な、教科書的な義歯の知識、対処では個々の患者さんの要望には答える事は困難である。軟質も万能というわけではないが、これまでの、硬質の義歯素材が直接口腔粘膜に当たって痛いというような患者さんや、アンダーカットの活用が有効というようなケースでは有益である。
 今回の軟質リラインの保険導入にあたり、適応症例を厳選すべきことは当然であるが、材料をシリコン系、手技を間接法、適応を下顎総義歯としていることについては改善されるべきだと思われる。なぜならシリコン系とアクリル系の材料はより弾性的であったり、より粘性的であったりと異なる物性で、より的確な適応の幅を広げていたものであるため、今日まで双方の材料が臨床で支持されてきていると思う。おそらく、両者は値段がおよそ3倍位違うことから、ただ単に安いものが普及しすぎることへの歯止めだろうか。軟質リラインの研究会やISOの規格制定に携わった経験から、どちらのリライン材料も有効であることは間違いない。
 さらに、硬質のこれまでのアクリル系のリラインの適応には直接法と間接法の保険導入の区別は無かった。
 それは、それぞれの手技に良い点、不利な点があって、症例ごとに選択の余地が残されていた。今回の軟質リラインの保険点数が比較的、高点数であるため濫用に対する危惧からの制約が関連していると思われる。
 直接法は卓越した技量が必須であることから、当面は短絡的な濫用をせずに、丁寧に適用して欲しいという事だと思われるが、そのためであれば間接法だけに限定するものでもない。間接法にもフラスコ埋没して加熱する場合もあるし、ただリラインの厚さだけを確保するための治具に乗せて、直接法と同じ加工をする場合もある。保険導入にあたってはいろんな制約があることは当然だが、下顎総義歯以外にも軟質リラインの適応症には拡大される必要がある。
 軟質リラインは硬質の材料の耐久性には劣るが、もともと、軟質リラインを必要としてる方は、それほどの長年月な耐久性よりも、それらより短期間でもその使用期間の快適性こそが望まれていることを考え、ケースによって、またメインテナンスの仕方によって幅はあるが、1年から3年位経過すれば十分であろう。
 軟質リラインの保険適用に関しては、未だ新たな指針が出ていないため、当初の通りに運用すると、保険適用の材料は市販されているシリコン系の中でも数種類である。トクヤマのソフリライナーを使用する場合、適応症の選択と義歯の咬合や床形態などの基本は抑えた上で、リライン用の治具を用いて間接法で行う事をお勧めする。リライン材の厚さとフィニッシングラインに留意し、装着後も義歯洗浄剤を用いて清潔に保つようにする事が大切である。
 なお、軟質リラインを自費診療として行う事もこれまで通りもちろん選択可能である。
参考になるものとして
1.THE  SOFT LINING, デンタルダイヤモンド社、2016ー3ー1発行、濱田泰三らの編著
2.義歯の裏装、 日本医療文化センター、1991
3.デンチャーライニング デンタルダイヤモンド、2001
4.ティッシュコンディショナー デンタルダイヤモンド、2007
5.義歯安定剤 デンタルダイヤモンド、2003
6.複製義歯 永末書店、1986
略歴
1969 大阪大学歯学部卒業、歯学士、歯科医師
1973 同、大学院修了、歯学博士
1973 広島大学歯学部の助手、講師、助教授を経て
1981 広島大学歯学部歯科補綴学教授
2008 広島大学定年、名誉教授
   東北大学大学院歯学研究科教授
2012 東北大学客員教授
2015 東北大学教育研究支援員

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