シリーズ「女川原発廃炉への道」No,42


シリーズ「女川原発廃炉への道」

浪江町、避難と帰還と放射能

公害環境対策部員 加藤 純二

 原発事故直後、浪江町では一時期255~330µSV/hrの放射能が測定された。約2万人の町民すべてが町から逃れた。私の診療所は仙台市東南部の有料道路の出入口に近いため、原発事故や津波の被災者で周辺にあるアパートの空室はほぼ満室になった。
 たまたま浪江町からの避難者の方が外来を受診し、町から避難した人々が定期的に集まる会合に招待された。皆が食べ物を持ち寄って、近況を語り合うといった集まりだった。中には時々、自宅に戻って放射能汚染の程度を測るため、測定器を購入した人もいた。
 町はJR駅周辺と道路沿いに街並みはあるが、木々が多い丘陵地がほとんどである。そのうち0.23μSV/hr以上の汚染土地の除染事業が始まり、平成24年11月から、町のほぼ全7700世帯に放射能測定器が無料で配布された。しかしそれは放射能が低く出る機械であった(仙台市医師会報No.595)。福島県全域に配置されたモニタリングポストも低い値が出るよう細工されてあった(週刊朝日2014.2.14)。
 広大な森林・丘陵地帯の大部分は除染されておらず、風雨はスポット状に除染された土地を再汚染するであろう。帰還した人々は山道を歩くだろうし、山菜を取りに森林にも入るであろう。事故から12年たって令和5年4月1日から、浪江町は山岳・丘陵地の一部を除いて避難指示解除になった。しかしそれは放射能を低く見せて人々を安心させ、一方で、避難解除の基準を20mSv/year以下とし、「帰還困難地域」を「帰還可能地域」に変えたに過ぎない。ちなみに医療放射線管理区域は5.2mSv/year以下である。
 多くの町民は、もはや町も県も国も信用していない。国会議員も学者も、裁判官も頼れないと思っている。すでに帰還した住民は千人以下、それも高齢者が主である。交付金をばらまいても、避難解除の報道があっても、9割の住民はすでに住民票を移して、帰還を諦めている。
 一見、桜の花は昔と変わらず咲いている。しかし町民は原発の安全、利益を信じて故郷を失った。今、政府はこの地震大国・日本の全原発を再稼働しようとしている。福島原発で溶融して地下にある核燃料デブリはまだ1グラムも取り出せずにいる。

 

本稿は宮城保険医新聞2023年4月25日(1812)号に掲載しました。

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