投稿「『東日本大震災に伴う医療費一部負担金の免除施策が被災地の医療サービス利用にあたえた影響:自然実験』の政策的示唆に対する見解」


「東日本大震災に伴う医療費一部負担金の免除施策が被災地の医療サービス利用にあたえた影響:自然実験」の政策的示唆に対する見解

北村龍男:北村神経内科クリニック

 論文「東日本大震災に伴う医療費一部自己負担金の免除施策が被災地の医療サービス利用にあたえた影響:自然実験」の政策的示唆は、同意できないものもあるが、大変興味深い示唆が含まれている。本稿は東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センターの設立7周年総会の中で表明した見解である。論文の政策的示唆、およびそれに対する私の見解を会員の先生方に知って頂きたく、協会ホームページに投稿します。

はじめに

 「東日本大震災に伴う医療費一部負担金の免除施策が被災地の医療サービス利用にあたえた影響:自然実験」(松山祐輔、他:RIETI Discussion Paper Series 17-J-004,2017年2月、以下、松山論文)は、一部負担金免除を宮城県で中断したことに焦点をあて、一部負担金免除の施策について論じ、自然災害時のこのような施策にの今後の在り方について政策的示唆を述べている。松山論文の要旨をそのまま転載し紹介する。その上でわたくしは松山論文の「本研究から得られる政策的示唆」について要点を紹介し見解を述べる。
 なお、「RIETIディスカッション・ペーパーは、専門論文の形式でまとめられた研究成果を公開し、活発な議論をすることを目的としています」としている。被災地で被災者の診療に当たった立場からその提案にこたえるものである。
 私は、津波被害のあった仙台市宮城野区で開業医として多くの住民の診療に当たってきた。患者の中には一部負担金免除を受けた患者もいれば、免除を受けなかった患者もいる。しかし、今回の大震災で全く被害のなかった患者は皆無と言っても過言ではない。私は診療を通じ、一部負担金免除の医療サービス利用への影響を強く感じてきた。

松山論文の要旨をそのまま転記し紹介する

 2011年3月11日に東日本大震災が発生した。被災地では、特定の条件を満たす被災者にたいして医療費の自己負担の特例的な免除措置が導入された。この特例措置は、被害が甚大な被災者に適応され、被災者は主に3県(宮城、岩手、福島)に存在した。そのような免除政策は、岩手・福島では、震災後から現在に至るまで継続されているが、宮城県では2013年4月から2014年3月の間一時的に中断された。我々は、このような社会の変化を「社会実験」(北村註:表題では”自然実験”)とみなし、医療費の自己負担の変化により、医療サービス利用がどのように変化するかについて分析をおこなった。
 本稿では、まず、都道府県別の月次のレセプトデータを経時的に記述した。その分析により、非被災地と比べると、被災3県では、震災直後の医療サービス利用が減少し、その後まもなくして増加に転じたことが確認された。宮城県での自己負担免除措置の中断直前に、医療サービス利用の急激な上昇を認めた。同様の変化は岩手・福島では観察されなかった。この宮城で観察された自己負担免除中止直前の急激な医療サービス利用の上昇は、医科入院外・歯科で大きく、医科入院では小さかった。これは、宮城県ダミーと月次の交互作用項をもちいた差分の差(Difference in difference,DID)分析によっても確認された。
 次に、市町村単位の2012年と2013年の年次の集計データをもちいて、被保険者の特性ごとの医療サービス利用の推移を、多変量線形回帰分析で検証した。その結果、自己負担3割のグループ(多くの成人、70歳以上の現役並み所得の高齢者)において、免除中断後に医療サービス利用の減少がみられたが、自己負担1割または2割のグループ(未就学児や70歳以上の一般的な所得の高齢者)では、医療サービス利用の変化がみられなかった。これは自己負担額(割合)の違いによると考えられる。なお、この一時的な自己負担が必要だった期間において、”副作用”と考えられる死亡率の推移は、集団レベルのデータでは有意な変化は観察されなかった。
 以上より、自己負担免除政策は、被災者、特に自己負担割合が大きな被災者の医療費の障壁をなくすことに寄与した政策であったと考える。どの程度の期間、そしてどのような被災者が自己負担援助されるべきかについては、個人レベルのデータを用いた検討が必要であろう。

松山論文の政策的示唆とそれに対する見解

 松山論文では、「5.おわりに」で結果をまとめ、そのうえで政策的示唆ついてのべている。この政策的示唆について、著者の見解を述べる。以下、「   」内は、松山論文からの引用。

一部負担金免除の医療サービス利用、医療アクセス改善効果について

 「医療費一部負担金免除施策の導入後、医療サービス利用の増加が認められたことから」「震災による疾患発生と生活再建という二重の負担を強いられた被災者にとって、このような施策は恩恵をもたらした」とし、「宮城県でのみ行われた免除施策の中断前後において、中断前に比べて医療サービス利用の減少がみられたことは、自己負担免除施策の医療アクセス改善効果があったことを支持する」と述べている。

著者の見解
 松山論文の指摘通りで、被災者の健康状態の維持、負担軽減に重要な役割を果たした。
 松山論文では触れていないが、6月末までの自己申告による免除認定は被災者の医療サービス利用、医療アクセス改善に極めて重要な役割を果たした。当院の初診患者数は月平均約20名である。震災直後の4月10日までの初診患者は133名であった。これらの初診患者の住所は南三陸町から福島県南相馬町までの津波被害地であった。多くの初診患者が保険証・お薬手帳を持参していなかった。被災直後の自己申告による被災者認定・自己負担免除施策は、被災者に安心と健康維持をもたらした。

中断による負の健康への影響について

 中断による医療サービス利用の減少の健康被害については、「宮城県の死亡率の推移でみた場合にはそのような負の健康への影響は認められなかった」「しかしながら、『死亡』をもちいて医療アクセス制限の有無についての評価を行うことは十分でないこと、加えて、自己負担免除を受けている世帯は、宮城県の約28%であり、自己負担の再開による『副作用』を被災世帯に限らず宮城県全体での死亡率で評価することは適切でないことも考慮する必要がある」「この点を明らかにするには、個人レベルでのデータを用いた解析か、市町村ごとの解析が有用であろう」としている。

著者の見解

 13年3月末に免除を打ち切り、4月から中断を行ったのは国民健康保険であり、社会保険はそれ以前(協会けんぽは12年9月、協会けんぽ以外の多くは12年2月)に一部負担金免除を打ち切った。
 また、中断前後で一部負担金免除の要件は異なる。11年7月から13年3月末の要件は全壊・大規模半壊・半壊、生計維持者に収入なしなどであった。14年4月以降は、全壊・大規模半壊、非課税世帯と厳しくなった。
 更に、再開後は、津波被災地を市町村に譲渡した場合などの前年収入により課税対象となった場合、免除は中断された。これらの免除要件を整理し表にまとめた。また、それぞれの時期の当院の一部負担金免除対象者数をグラフにした。中断後免除対象者は6分の1になった。中断後再開は評価できるが、要件の厳格化は被災者に分断・困難・混乱をもたらした。
 表およびグラフにしたような状況を考えると、免除対象者数は全県民数に対する割合、特に免除再開後の対象者は少ない。中断の副作用を死亡率で評価することは適切でない。
180710宮城県の医療費一部負担金免除要件等の変遷
180710北村神経内科クリニックにおける一部負担金免除者数の変動

免除期間について

 「宮城県における自己負担の再免除政策後、増加が観察されたものは、国民健康保険者の歯科だけであった。このことから、震災後の自己負担の免除期間は、震災後の2年で十分であったと考えられる」と述べる一方、「宮城県全体のデータだけではその評価は困難 であり、個人レベルのデータを用いた分析や、市町村別のデータ解析が必要である」としている。「個人レベルのデータを使った研究では、震災から3年がたってもな震災被害と 精神状態・身体状態の悪化に関連が見られる(Tsuboya et al.,2016)」とも述べ、免除期間の決定には慎重な議論が必要と指摘している。
 「震災後の状況は個人により大きく異なるため」「徐々に対象者を限定していくのが現 実的」で、県が再開した際に「対象者を住民税非課税世帯に限定したことは適切であったかもしれない」と指摘している。更に「対象者を限定していく際には、対象範囲の決定のための議論・事務手続き・かかる経済的コストなどの負の側面も考慮する必要がある」とも付け加えている。

著者の見解

 再免除後、増加が観察されたものは国民健康保険の歯科のみ、このことから免除期間は2年で十分とも考えられるという結論は無理がある。宮城県全体のデータでは免除再開対象者が少ないことが医科入院外での変化を捉えられなかった可能性があるのではないか。
Tsuboyaらの報告だけでなく、以下の調査報告からも免除継続を必要とする被災者がいたことは明らかである。
 宮城民医連では、17年9月30日、10月1日に、塩釜市、多賀城市など6市町の災害公営住宅で352件の調査をおこなった。7割が治療が必要な病気がある、治療が必要な人の約1割が通院していない、通院していない理由にでは”お金がない・医療費が高い
・生活に余裕がない・時間がとれない”などをあげている。医療費自己負担免除については6割が継続・復活を希望している。医療費自己負担免除の継続が必要な被災者がいることはあきらかである。
 井上博之は、再開後歯科だけが増加していることについて、実際に歯科医院を訪れてみて、歯科医療の大切さをしり、(保険診療では)思ったより歯科治療費が安いと思ったた めでないかと指摘し、窓口負担軽減こそがポイントと述べている。

適切な支援の内容とその範囲について

 「医療費のみを別立てで減免することは、被災者にとって最適な支援であったのだろうか」と疑問を呈し、「今回自己負担免除政策の適応世帯は、たとえば、自宅をおおきく失ったものや主たる生計者が死亡・失職などした世帯であった。これらはある程度合理性があるように思えるが」「医療ニーズとはパラレルのものでない」「被害が大きかった世帯では医療ニーズが増えることがあるかもしれないが、そのような負世帯に対して、別途、医療費自己負担免除の事務的な手続きを強いることは適切なのだろうか」と指摘している。更に、「課題別で縦割りで対応することは、事務的な手続きが煩雑化し、被災者を疲弊させ、恩恵を享受するまでに時間を要する。加えて、被災後に業務量が増えている地方行政を圧迫する。被災地では地方行政職員も被災者であることは少なくない」と指摘している。
 「自宅を失った被災者が必要なものは、医療費の自己負担免除だけでなく、まずは自宅の再建であり、家計の主たる収入を失った世帯が必要なものは、やはり自己負担免除だけではなく、安定的な収入の確保である。加えて、免除対象者に被害の程度などで一定の基準を設けた今回の施策では、震災を契機に健康状態が悪化しても、たとえば自宅や仕事を失っていない被災者世帯はカバーされない場合がある」ことに言及し、「被災者に必要な ものは、生活支援+医療費自己負担のカバーでないか」と提言している。
 「被災者は一旦生活保護と同等の社会的支援を提供する体制とし、被災者の生活を包括的に支援することを検討してもよいのではないか」「これにより、各種行政手続きを簡素 な対応にした上で被災者の生活を包括的にスピーディーに支援することができるので無いか」と提起している。手厚いすぎるとの批判に対しては「事務コストが低くなり、被災者の生活再建もより早くなり、トータルでは社会全体としての負担が小さくなる可能性もあるのではないか」と述べている。「このような対応は期限付きの支援とすることで、自立 生活復帰のインセンティブとすることもかもしれない」と結んでいる。

著者の見解
 この示唆は極めて貴重である。特に「一旦生活保護と同等の社会的支援」は重要な意見であり、この観点での検討を望む。
 一部負担金免除の対象者は6月末までは、被災者の自己申告によった。7月以後は要件により一部負担金免除の対象者が絞られた。被災証明等のために、区役所に向かう車の渋滞を思い出す。長い行列は、食料・水・ガソリンなどのためだけではなかった。松山論文で指摘されている点を考慮すると、この自己申告による認定の期間は、1年、少なくとも半年間とすることにより、被災者・被災自治体職員の負担を大幅に軽減出来、事務コストの軽減も可能であろう。
 五十嵐公英は13年3月末までの義歯の作製の突出について、”受診抑制からの免除による「駆け込み需要」があった”かもしれないが、別の側面があり、”避難に当たり義歯を持ち出すことができなかった”ことをあげている。被災の状態を広く捉えた対応が望まれる。
 免除再開後については、2つの点を指摘して置きたい。要件が極めて厳しくなり、対象者が大幅に減らされたことは先に指摘した。また、前年の収入、たとえば津波被害の宅地を市に買い上げられ、それが収入と認定され課税対象世帯となり、1年間一部負担金が徴収され、1年後には免除が再開された世帯もある。事務コストの問題だけではない。津波被害の市の買い上げなどは当然生活(住宅)再建に生かすべきで、課税対象とすべきでない。

対象世帯のあり方について

 「自宅の被害があっても、十分な資産や継続した収入がある人には、医療費の自己負担という政策は、過剰な支援という意見があるかもしれない」「そもそも震災がなくとも、自己負担により受診を控える人がいるのも事実である。そのような人のうち、震災で大きな被害を受けた人は自己負担が免除になるため、ようやく医療利用できた人もいたかもしれない。一方、被害が無いもしくは軽微な人は、相変わらず自己負担があることを理由に、必要な医療量を受けることが出来ない人もいるだろう。このような人は対応されなくてよいのか。震災による被害が大きくなったから受診できるようになり、なかった人は相変わらず受診できないとういう事実は見過ごされるべきでないのではないか」と疑問を呈している。

著者の見解
 健康保険は「いつでも、だれでも、どこでも」が前提である。本来、一部負担金は「ゼロ」、多くとも1割負担が限界である。保険料を納入していながら、病気になったら窓口負担金を課されては、受診抑制が起こり必要な医療を受けられない。保険制度は、如何に受診抑制を起きないようにするかこそ考えるべきであろう。
 今回の大震災で一番の教訓は、一部負担金免除「ゼロ」である。「ゼロ」であれば、受診抑制を最低限に抑えられる。健康保険の財源については、国民が直接負担する保険料、窓口負担金については、保険料は上限を設けず応能負担の原則を貫くべきであり、窓口負担金については「ゼロ」とすべきである。

資産について

 「受診の重荷となっている自己負担については、わが国での保険診療では、従来から、まず年齢により区分されている。若年者・高齢者ほど割合が低く、働いていると想定されている年代では3割と負担が大きい。高額療養費の上限も同様に、働いていると想定されている年代で上限がより高く設定されている」「同じ所得を得ている高齢者と働いていると想定されている年代では、どちらが同じ金額を自己負担として支出することに困難がないであろうか。おそらく、資産が多い方が困難ではないであろう。一般に資産は年齢とともに増加していく」「かりにそうであれば、自己負担割合は、若年者の方が低く設定されるべきでないか。この議論は特に、いわゆるワーキンググプア就労者・世帯で重要になってくると思われる」「加えて、もし仮に、社会として医療を先行投資であるとみなすならば、若年者により積極的に必要な医療を提供することを考えてもいいのではないか」「誤解の無いように明記するが、筆者らは何も70歳以上の高齢者の医療受診が不要であると論じているのではない。必要な医療へのアクセスは人権であると考える。その上で、フェアな費用負担の議論が行われる必要があるのではないかと感じている」としている。

著者の見解
 資産と健康維持の関わりは重要なテーマである。年齢による区分については、ワーキングプアなどに目を配ることは重要である。しかし、問題はそこには無いと考える。資産の少ない人の負担は軽減すべきである。若年者でも、高齢者でも格差は大きい。この格差に目を向け、保険料は応能負担を原則とすべきである。保険料に資産を含めること、保険料の上限を引き上げることが必要である。
 窓口負担金については、保険料を払った上には更に医療保険時に受診抑制をもたらす負担金を徴収するのは理解し難い。窓口負担負担が高額になると受診抑制につながり、重症化により、結局医療費は必要以上に高額となる。負担金3割で受診抑制がおこる。1割が限度である。

改めて一部負担金免除について整理し、見解を述べる。

 東日本大震災時の一部負担金免除施策、特に宮城県の免除中断、再開の経験は多くの課題を検討する機会になった。
〇 一部負担金は本来「ゼロ」である。これまでの経過を考慮しても上限1割であろう。それ以上では、受診抑制をもたらす状態である。医療費問題の解決には、国庫負担金の増額と応能負担を貫き保険料の上限額の引き上げで対応する。
〇 一部負担金免除は震災後6月末までは、自己申告により認定された。このことは非常に重要である。この期間は被災者、自治体職員も大変な状況であった。被災者は震災後しばらくは避難所や仮設住宅などを転々とした。今後の大規模災害にあたっては、この期間を1年、少なくとも半年は必要である。
〇 災害公営住宅の居住者をはじめ、多くの被災者が現在も一部負担金免除を必要としている。
〇 免除再開後の要件に、前年の非課税世帯であることが入っていた。この扱いは、該当者に大きな混乱をもたらした。市町村職員にも大きな負担があったと思う・
 津波被害地が仙台市に買い上げられた場合も収入と認定され課税対象世帯となった。この収入は被災者の住宅再建等への利用を考えるべきで、あまりにも配慮がたりない。

参考文献
北村龍男:大震災直後の初診患者、日本臨床内科医会誌、29:5:771,平成27年
北村龍男:大震災4年後の被災地診療所にみられる外来患者への影響・状況
日本臨床内科医会誌、30:5:680、平成28年
北村龍男:東日本大震災被災者への医療費一部負担金免除要件の変遷、日本臨床内科医会  誌、31:5:789,平成29年
五十嵐公英:3・11水没歯科診療所−医療費窓口負担免除6年間の患者動向、
第32回保団連医療研フォーラム記録集、P97、平成29年
井上博之:窓口負担が受診をかくも左右した、月刊保団連、2014年3月号、P35
宮城民医連:2017年災害公営住宅訪問調査の結果、2018年2月16日

(2018年6月3日)

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