〈投稿〉
終末期を前にした在宅療養患者が
食べられなくなったときにどうする?
北村神経内科クリニック院長 北村龍男
本文は保険医協会第11回在宅療養懇談会(2016年2月2日)での発言に、当日の意見交換を踏まえ手を加え整理しました。
はじめに
「訪問診療をしている患者さんが、食べられなくなった時にどう対応するか?」 このテーマでよく話題になるのは「胃瘻を作るかどうか?」であったが、最近は「平穏死」が話題の中心になることが多い。患者さんの状態はいろいろなので、当然検討すべきことは多い。「食べられなくなったら後は看取りでよいのでは?」「まずは食べられなくなった原因を探るべきか?」「点滴はどうする? 血管確保が出来なくなったら皮下注するのか?」「家族との話し合いをどうしているか?」「患者さんの生きる意欲をどう評価するか?」「NSTは?」「嚥下リハ?」「歯科に紹介?、耳鼻科?、或いはリハ科?」等々。
更に、がん患者か、がん以外の患者か、フレイル期か、障害期か、終末期かでも当然対応はことなる。フレイル期、障害期については、取り組みは不十分にしても、方向は見えてきている。終末期の判断は、意見が分かれるところでないか。
私の問題意識
わたくしの問題意識は、終末期の患者に対し「早すぎる看取りの決定は許されない」「看取りと決める前にやることはないか?」である。
そして、生きる意欲のある患者さんは、「看取り」と決めるのは避けたい。生きる意欲のある患者さんには、「生を全うしてほしい」
国は今、「入院医療から在宅医療へ」「在宅患者の看取り」などを積極的に進めようとしている。そんな折、「看取り」や「平穏死」を全面に掲げるのは、医師の意図は兎も角早すぎる決定に陥らないか。
症例を上げてみる
症例① DTさん
12月に95才になった。現在は「かまとばあちゃん」状態である。
5年前に、数ヶ月の間に左右の大腿骨骨折し、入院治療をうけた。その後続けて2回ほど嚥下性肺炎で入院した。退院時「少しずつ点滴を減らし、看取って下さい」と情報提供され、訪問診療を再開した。点滴は減らさないで、経過を見た。脱水症が出てきた。嫁さんと相談し「(どうせ駄目なら)何か食べさせてみよう」と経口開始したところ、問題なく嚥下した。血管確保が困難になってからは、生理的食塩の皮下注と経口摂取を継続した。「虫がいる」などと言っていた時期もあるが、最近は、兄弟姉妹によびかけ、般若心経の一節を唱える。家族が「先生が来てくれた」と声をかけても最近は反応なし。覚醒しているときには「痛い」「止めろ」などと、診療のおわりには「ありがとう」などとも。
現在利用している医療・介護サービスは、・・・・。
症例② SIさん
2012~13年には、時々腹痛、嘔気・おう吐があり、胆嚢疾患(胆嚢がん否定できず)が指摘されたが、家族も検査を希望せず、経過観察となった。
2013年末より、経口摂取しなくなり、血圧も低下し、ベットで過ごす様になる。定期的点滴を行ったが改善せず。血圧低下に対し、副腎皮質機能低下を疑いフロリネフを処方した。血圧が改善し、食欲の改善がみられた。その後、経口摂取のみで過ごしている。
最近まで、車いすに乗り、食堂で食事していた。往診時には手を振って挨拶、会話成立していた。2015年11月にALP高値となり、YD病院消化器科で「後は、北村先生に看取って貰ってください」と言われたが、家族の強い希望で入院した。家族は検査は希望せず、ALP 高値の原因は特定できなかったが改善し、現在は施設に戻り、経口摂取で過ごしている。
症例を通じ見えること
①高齢者は治療してみないと分からない。
看取りを決める前に、立ち止まり生きる意欲、中でも「食べる意欲があるか」を考えてみる必要がある。
②多くの患者さんが自分で意志を表明することは困難であるが、「看取り」と決める前に、自分だけでは決めないで、他院受診を打診してみる。
ここで、どこに紹介し、どこでチェックして貰うのも難しい。患者さんは、複数の問題を抱えているためどこの医療機関に紹介するかの判断は難しい。
③「後は看取り」との判断は、食べる意欲を見せなくなった時か。
④医療の介入を止める平穏死、看取りと決めるのが早すぎてはいけない。
⑤はじめから平穏死、看取りを前提としてはならない。
必要な医療手段を放棄する事になる(それは、医療介護総合推進法が求めていることに、無批判に従ってしまうことになる)