シリーズ「女川原発廃炉への道」
原発という甘い蜜には毒がある
副理事長 杉目 博厚
あれほど過酷な東京電力福島第一原発事故が起こった我が国で、なぜ未だ原発がなくならないのか。ましてや再稼働が認められ、増設、新設まで議論されるのか。そこには原発が日本で稼働するようになったころから現在まで脈々と残る原発と交付金、自治体経済の関係がある。それが赤裸々に明らかにされたものがある。1983年1月26日に、全国原子力発電所所在市町村協議会会長で福井県敦賀市長の高木孝一氏が、原発候補地になっていた石川県志賀町で開催された講演会における発言を紹介する。
「原発を設置すれば電源三法交付金がもらえるとして、『敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で42億入ってくる』さらに、敦賀の金ケ崎宮という神社の修復費に6千万円、北陸一の宮の修繕に6億円を日本原子力発電と動燃(原子力機構)から出させた」と語り、「まあそんな訳で短大は建つわ、高校はできるわ、50億円で運動公園はできるわね」「そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりができるんじゃなかろうかと、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい」。
さらに最後にはこのようなことまで言い放っている。「その代わりに(原発を立地した代わりに)100年経って障害をもった者が生まれてくるやら、50年後に生まれた子どもが全部障害をもっているやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では原発をおやりになった方がよいのではなかろうか。こういうふうに思っております」。会場から大きな拍手…
皆さんはどうお考えですか? 強い憤りを感じるとともに、この驚愕の発言こそが原発マネーが麻薬であることを示唆している。決して過去の話ではない。原発再稼働推進派が「事故のことを考えると怖いが、現実の町の経済を考えると、背に腹は変えられない」という発言は異曲同工である。そもそも背と腹が逆である。命と健康こそが腹であろう。タナボタの金で町の経済を支えるのではなく、確固とした地域産業を構築していくことこそが重要だ。原発という甘い蜜には毒が含まれている。うまい話には裏がある。そして前述の講演会での発言のように人の心まで蝕んでいくのである。
本稿は宮城保険医新聞2022年2月25日(1774)号に掲載しました。