2014年4月23日に東北大学名誉教授
の日野秀逸氏を講師に医療・介護総合法案に関する学習会を開催しました。下記の講演要旨は宮城保険医新聞1526号に掲載されたものです。
医療・介護総合法案で狙われるもの―患者負担で安上がりの医療・介護に
東北大学名誉教授 日野秀逸
はじめに―毒入り「雑炊」法案の核心
地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律案(「医療・介護総合法案」と略記)は、「改正」すべき法が19、関連法が30からなる巨大な「雑炊」法案である。しかも毒入り雑炊法案である。その雑炊性のために、関係医療・介護団体から、極めて多数の略称が付けられた。以下に列記する。
医療介護改悪法案(赤旗、2014.2.15)
医療と介護「ごった煮」法案(神奈川県保険医新聞、2014.2.25)
「医療・介護」-括法案(医療労働者、2014.3.27)
医療・介護総合確保推進法案(全日本民医連会長へのインタビュー、赤旗、2014.3.30)
医療・介護一体改悪(医療・介護総合確保推進)法案(赤旗、2014.3.30)
医療・介護総合法案(高橋千鶴子、2014.4.1 衆院本会議)
医療・介護一体改悪法案(全日本民医連会長声明、2014.4.3)
医療・介護総合法案(東京保険医新聞、2014.4.5)
総合確保法案(京都保険医新聞、2014.4.5)
現段階では医療・介護総合法案という呼称にほぼ定着した。多様な呼称が付けられるのは、多岐にわたる性質の異なる複数の法を変える内容が、一つの法案に無理矢理詰め込まれている証拠である。1 法案の核心―医療・介護の漂流難民を生む
医療・介護総合法案の核心は、「川上から川下へ」である。社会保障制度改革国民会議報告書(2013年8月6日)では、「高度急性期から在宅介護までの一連の流れ、容態急変時に逆流することさえある流れにおいて、川上に位置する病床の機能分化という政策の展開は、退院患者の受入れ体制の整備という川下の政策と同時に行われるべきものであり、川上から川下までの提供者間のネットワーク化は新しい医療・介護制度の下では必要不可欠となる」と書いている。
この表現は行政用語になっている。2014年2月25日に厚生労働省は「全国介護保険・高齢者保健福祉担当課長会議」を開催し、厚労省老健局が所管する介護保険や高齢者福祉といった事業について、2014年度の重点項目や留意事項を都道府県の担当者に説明した。冒頭、原老健局長が、「地域包括ケアシステム構築に本腰を入れる」とし、「川上の医療制度改革と川下の介護保険制度改革を常時一体にやっていく。この中心を担う都道府県は重要な役割である。そして国と市町村が支援していく必要がある」と述べた。
川上から川下へという意味は、「高度急性期から在宅介護までの一連の流れ」のことであり、「川上の医療制度改革と川下の介護保険制度改革」を一体的にすすめるというのである。川というものは、最終的には湖か海に注ぐ(単純に海へ注ぐとする)。川下が在宅であり介護保険だと言うが、それは政策が及ぶ限りでの最下流という意味で、現実の生活では、川は海に注ぐ。海とは、公的な医療保険も介護保険もサービスを提供せず、自治体の任意的事業も存在せず、もっぱら本人と家族あるいはボランティアの支援にたよりながら広大な海を漂う生活のことである。何らの支援もなく、孤独死・孤立死に追い込まれる海でもありうる。図式的に表せば、急性期医療が最上流→絞り込んで、患者はあふれる→あふれた患者は、亜急性、回復、療養という医療の川下へ→さらに医療から介護という川下へ→介護でも施設という川上から地域という川下へ(特別養護老人ホームの入所対象者限定、要介護3以上)→地域でも要支援1,2は介護保険という川上から自治体の支援事業という川下へ→自治体による格差等の事情で、ただ在宅にいるだけという海へ→溺れてしまう。
総合的生活保障として社会保障を理解するならば(憲法第25条は「川上から川下」までを国の責任で保障せよとはいっていない。生活の全面にわたって保障することを規定している)、医療・介護総合法案は、憲法違反の守備範囲狭隘化をはかるものである。海とは生活保護のことだという議論も予想されるが、生活保護をめぐる法的、行政的実態は、せいぜい岸辺を守備範囲にしているに過ぎない。2 医療・介護総合法案の概要
2014年2月12日に政府は「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律案の概要」を発表した。当事者自らが整理した法案概要で、全体像をつかむのに便利であるが、法律的表現は分かりにくいという事情を考慮して、「概要」をさらに分解して「概要」の要約をしておく。
医療
入院ベッド→都道府県が地域医療ビジョンを策定し、医療機関が協議して削減・再編を進める。病棟の機能分化を医療機関の申告によって行う。知事による強制措置も導入。
医療職対策→看護師が医療行為を行うことが出来るような制度を導入する。
医療事故→第三者機関による事故調査制度創設。
外国人医師→診療ができるように規制緩和を行う。外国人医師による外国人への自由診療解禁。介護
要支援者向けサービス→要支援1、2の対象者へのサービスは、介護保険から外して自治体事業へ。任意事業にも想定。介護費削減。
特別養護老人ホーム→新規入所者を要介護3以上に限定。
利用料→1割から2割へ引き上げる。合計所得160万円以上(年金所得280万円以上)を対象とする。
施設入所者補助→居住・食費の補助を縮小。単身で貯金1000万円(夫婦では2000万円)以上が対象。資産も考慮する。共通
新たな基金の創設。
都道府県の事業計画に記載した医療・介護の事業(病床の機能分化・連携、在宅医療・介護の推進等)のため、消費税増収分を活用した新たな基金を都道府県に設置するというのである。診療報酬とは別に都道府県に地域医療・介護を政府の思う方向に進めるための「基金」を設置し、財源には主に消費税増収分をあてる。消費税「増税」分を公共事業や政府の赤字減らし等々に使った残りの「増収」部分をあてるという話。2014年度には900億円ほどが想定されている。
簡単に問題を指摘しておく。①は、基金を梃子に国、県という経路で強制的な医療・介護の再編が進められることである。県の再編計画に従わない医療・介護施設には基金からの補助金支給でペナルティーを課すことができる。②は、診療報酬や介護報酬とは別の基金が、施設運営資金の主流にさせられるおそれである。医療・介護施設が資金不足を訴えても、診療報酬等を改善するのではなく、「基金」に頼れと言うことになりかねない。3 憲法違反の医療・介護総合法案
医療・介護総合法案では、随所に家族や近隣や自助や互助が出てくる。「予防給付の見直しと地域支援事業の充実」という項目では、「・見守り等生活支援の担い手として、生きがいと役割づくりによる互助の推進」と「・能力に応じた柔軟な支援により、介護サービスからの自立意欲が向上」という文言が出ている。自立と互助である。「生活支援/介護予防」の項目では、「・自助(民間活力)、互助(ボランティア)等による実施」として、文字通り「自助と互助」が柱になっている。「地域包括ケアシステムの構築」の項目では、「住民互助の発掘」が課題に挙げられている。この法案は、国民の健康で文化的な生活に対する国の責任を規定した憲法第25条に明らかに反している。
4 医療・介護施設の縮小・再編
法案の具体的な狙いは、医療・介護施設の機能分化と縮小・再編であり、それを都道府県が強行する内容である。病床機能を病棟単位で4つに分け、医療機関自らが手を挙げて、県に申告することが、医療機関の義務とされ、それに基づく「医療計画」作成が都道府県の責務とされる。医療機関は、地域における病床の機能の分化及び連携の推進に協力し、地域において必要な医療を確保することが努力義務とされた。従わないと上記のように補助金などでペナルティーが課せられる。また、国民に対し「良質かつ適切な医療の効率的な提供に資するよう」、機能分化・分担の意義をよく理解し、「医療に関する選択を適切に行い、医療を適切に受けるよう」にとの努力義務まで盛り込まれている。
こうした再編が回るための大前提は、地域・居宅で介護が可能なことである。しかし、「要支援の地域支援事業への移行可能」な介護保険者は1.7割程度にすぎない。自治体のうち「24時間巡回サービス」(「地域包括ケア」の底支えになるサービス。デンマークなどは、これが確立して、高齢・障害・認知症等でも地域での生活が可能に)を実施しているのも1割程度である。5 医療事故調査制度(医療事故調査・支援センター.一般社団(財団)法人)の新設
医療法6条改正によって標記組織の新設を図る。それは、調査結果を裁判に利用する責任追及型の制度になる危険性を孕む。医療事故調査は「原因究明」と「再発防止」がテーマであるが、責任追求型は調査を困難にし、再発防止に役立たない。
また、医療事故裁判は医師の職業生命を奪うことを忘れてはならない。産婦人科や小児科、外科など、リスクの高い医療が敬遠されている。無罪になった福島県の大野病院事件等々などでも、医師の職業生命に対して不可逆的損失をもたらした。おわりに
自由民主党「持続可能な社会保障制度の確立に向けて、国民一人ひとりが地域のつながりの中で健康寿命を全うすることを推進する議員連盟」提言書(4月8日)では、冒頭で「可能な範囲で相互に助け合う互助・共助」の美風を取戻そうと呼びかけている。提言に目新しい内容はないが、「自助・自立」を美しい美風とし、憲法25条とは反対に「薬局やコンビニなど身近な場所」で、「地域のソーシャルキャピタルを最大限活用した」活動を推奨している。この種の議連が、医療・介護総合法案の応援団的役割を買って出ているのである。
こういう時期であるからこそ、自助・互助としての医療・介護ではなく、国の責任で行き届いた医療・介護を、なによりも憲法25条に規定された健康で文化的な生存の基盤としての医療・介護を求めたい。