福島県浪江町 視察報告


福島県浪江町 視察報告

理事 杉目博厚

8月31日、他団体が主催する「南相馬・浪江の被災地視察会」に当協会より井上副理事長、島理事、鈴木事務局長と私の4名が参加したので報告させて頂く。福島県浪江町は福島第一原発事故により、立ち入りについて事前に許可申請を行っての視察である。(出発地宮城野区陸前原町駅前 空間線量0・05μsv/h)途中、南相馬市議会議員、渡部寛一氏と合流し、渡部氏の案内のもとでの視察となった。(道の駅相馬0・21μsv/h)、(道の駅南相馬0・36μsv/h)。渡部氏と合流後バスはすぐに浪江町へと向かった。検問所を通過し町内へ、そこは2011年3月11日から時間が止まっていた。

避難指示があったのは3月12日午前5時44分。地震の揺れで損壊した建物や道路。津波に襲われた地域では、住宅地であった場所は時々見える流失を間逃れた建物がそれを想像させるのみで、雑草に一面覆われ、うちあげられた漁船が点在し、朽ち果てた車が無残な形で草木の間からその一部を現わしている。

 バスを降り渡部氏の説明を聞く。原発から約7㌔ほどである。視線を遠くに移すと福島第一原発の排気塔がはっきりと確認できる。更に原発から5㌔ほど、海が目の前にある請戸小学校へ。1階を津波が突き抜け無残な姿を残す。体育館に立ち入るとステージには「祝 修・卒業証書授与式」の横断幕が……幸い児童は全員地震直後、教職員の指示で離れた高台まで避難し無事であったとの話を聞き安堵。(請戸小学校敷地内0・25μsv/h)

 バスは浪江町中心地へ。ここは地震による被害があちこちに見られるものの、津波の被害は全くない。しかし、駅前の新聞販売店には2011年3月12日の福島民報が配達されることなく積まれている。マンションの窓にはその日に干された洗濯物が掛かったままに。時計店は建物が傾き、心無い者たちに荒らされ、盗難にあったままの店内。持ち主の戻らない自転車は駅前のバス停前に置かれていた。原発事故がなかったら、この町は今頃復旧・復興をすすめ、人々が往来する町並みを取り戻していただろうと思うと、悔しさと憤りを覚える。(JR浪江町駅前1・06μsv/h)

 その後南相馬市小高区などを視察、大悲山の石仏に驚嘆するも、この地に訪れる人を阻む放射能の非情を憎む。最後に「希望の牧場」へ。避難指示が出た後も牧場に残り今まで牛たちを飼育し続けている牧場だ。(希望の牧場1・29μsv/h)当時の写真を見、その悲惨さに絶句した。広大な牧場内を自由に歩き回る牛たちを見ながら、ふと思う、もし放射性物質に色がついていたなら、今見ているこの光景はどのように映るのだろう。目に見えないが故の恐怖と困惑。原発は一度事故を起こすとこのような事態を招くことを体感し、一層「原発はいらない」と強く心に刻んだ一日であった。

 多忙な中案内をして下さった渡部議員に対し、この場をお借りして深く御礼申し上げます。

(文中の放射線線量は私個人の線量計での数値です。公の数値ではありません)

 

 

 

 

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