寄稿「社会保障制度基盤の崩壊を招く『我が事・丸ごと』地域共生社会の本質」
立教大学 コミュニティ福祉学部 福祉学科 教授 芝田 英昭
はじめに…「地域共生社会」は何を目指すのか
2017年5月26日「地域包括ケアシステムの強化のための介護保険法等の一部を改正する法律(以下「介護保険法等改正法案」)」が、参議院本会議にて可決・成立しました。同法は、厚生労働省に設置された「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部(以下「実現本部」)」がとりまとめた「『地域共生社会』の実現に向けて(当面の改革工程)」に従って提出され、同文書は2018年以降の改革工程も具体的に示しています。
しかし、改革工程が目指すのは、介護保険法の改正だけに止まりません。今回の介護保険法等改正法は、介護保険法、健康保険法、児童福祉法、医療法、社会福祉法、老人福祉法、生活保護法、子ども・子育て支援法等を含む31法の改正で、多岐に渡ります。
1.「地域共生社会」と社会保障概念の矮小化
実現本部の「社会保障」概念理解は、極めて偏向しています。改革工程本文9ページの内で「社会保障」の単語は2度しか使用されず、ほとんどが社会保障を「公的な支援制度」、「公的支援」、「保健福祉」、「福祉分野、保健・医療」、「保健、医療、福祉」と言い換えています。
また、実現本部の「社会保障」は、「工業化に伴う人々の都市部への移動、個人主義化や核家族化、共働き世帯の増加などの社会の変化の過程において、地域や家庭が果たしてきた役割の一部を代替する必要性が高まってきた。これに応える形で、(中略)高齢者、障害者、子どもなどの対象者ごとに、公的な支援制度が整備(下線筆者)」[厚生労働省(2017)、p.1]された、との認識にも疑問を持ちます。
現代社会(資本主義社会)は、生産手段を所有している人以外は、賃金労働者であり自らが持てる労働力を売ることで初めて生活(労働力の再生産)できます。ただ、賃金は、「労働力の平均的な対価」ですから、個々が抱える生活問題(生活過程に起こる社会問題。具体的には、失業、保育、介護、疾病、障害などから生起する生活困難等)全てを個人で解決できるだけの金額は支払われていません。したがって、労働者が生活問題を抱えれば、いとも容易く人が人らしく生きるレベル(健康で文化的な生活)を下回ってしまい、生存権を侵害することになります。つまり、社会保障は生活問題を緩和・解決するための制度・政策であり、そのことを通して生存権を保障する機能を有しています。
改革工程は、社会保障を家庭や地域の役割の代替制度だとすることで、地域課題解決の責任を地域住民や個人にすり替え、その多くを女性に押し付けようとしています。
2.自助・共助を強調する地域共生社会
実現本部は、地域共生社会を「地域住民や地域の多様な主体が『我が事』として参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えて『丸ごと』つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会」[厚生労働省(2017)、p.2]としています。理念的には理解できますが、その実態は国や自治体の責任を曖昧にし、地域住民に地域生活課題解決の責任を丸ごと丸投げする方向です。
社会福祉法改正では、4条(地域福祉の推進)に新たに、「地域住民等は、地域福祉の推進に当たっては、福祉サービスを必要とする地域住民及びその世帯が抱える福祉、介護、介護予防、保健医療、住まい、就労及び教育に関する課題、福祉サービスを必要とする地域住民の地域社会からの孤立その他の福祉サービスを必要とする地域住民が日常生活を営み、あらゆる分野の活動に参加する機会が確保される上での各般の課題(地域生活課題)を把握し、地域生活課題の解決に資する支援を行う関係機関との連携等によりその解決を図るよう特に留意するものとする(下線筆者)」との項目が加えられました。確かに、地域住民が抱える課題は、多岐にわたり「福祉領域」に限定するのは困難です。しかし、相談支援体制は、公的な制度となるのでしょうか。
3.総合的相談窓口の設置
「地域の住民が抱える課題について、分野を超え『丸ごと』の相談を受け止める場」[厚生労働省(2017)、p.5]を設置する。また、住民が抱える課題は、「福祉分野だけではなく、保健・医療、権利擁護、雇用・就労、産業、教育、住まいなど(下線筆者)」[厚生労働省(2017)、p.5]であるとしています。この相談窓口一元化を、先ず2017年度全国100カ所でモデル事業として実施し、法改正を通じて2018年度より全国で実施するとしています。
しかし、相談体制は、「例えば、地区社協、市町村社協の地区担当、地域包括支援センター、相談支援事業所、地域子育て支援拠点、利用者支援事業、社会福祉法人、NPO法人等」[政府(2017)、p.4]であり、自治体が公的責任に則り独自に総合的相談窓口を設置するのではなく、社協等に委託され、これまで自治体が直接行ってきた福祉関係の相談や様々な行政サービスも外部化・縮小が懸念されます。
4.共生型サービスの創設は、介護保険法と障害者総合支援法の一元化の第一歩となる
介護保険法等改正法は、「高齢者と障害者が同一事業所でサービスを受けやすくするため、介護保険と障害福祉制度に新たに共生型サービスを位置付ける」[政府(2017)、p.1]とし、児童福祉法上の指定事業者(居宅サービス等の種類に該当する障害児通所支援に係るものに限定)、または障害者総合支援法上の指定事業者(居宅サービス等の種類に該当する障害福祉サービスに係るものに限定)から、介護保険法の訪問介護・通所介護等の居宅サービス事業に申請があった場合、当該事業に照らして、都道府県または市町村が「共生型サービス事業者」に指定するとしています。
障害者にとって64歳までのサービス量に比べ、65歳からのサービス量は介護保険適用で激減し、自己負担も増えているのが実情です。この点の改善がないまま、同一事業所でサービスが受けられるメリッットを強調しても、当事者の納得は得られません。また、共生型サービス導入の狙いは、介護保険法と障害者総合支援法の統合であり、その第一歩です。共生型サービスの導入で、サービス供給面において両法の統合を図り、その利便性を強調して、一気に統合への道筋をつけようとしています。
5.地域共生社会と国民監視国家の親和性
2013年9月に「マイナンバー法」が成立(2015年9月改正)し、2015年10月に施行されました。翌年明けから自治体ではマイナンバー・カード(任意)の交付が始まりましたが、交付の際「顔認証システム」での本人確認が行われ、膨大な顔認証データが、自治体に蓄積されいます。
また、「刑事訴訟法改正法」が2016年5月に可決・成立し、取り調べの可視化、司法取引の導入、通信傍受(盗聴)の拡大、等が盛り込まれました。捜査当局による盗聴は、国民的批判の下、暴力団関係の組織犯罪4類型に限定し、通信事業者の常時立会いを義務付けすることで1999年に成立しました。しかし、2016年改正法は、盗聴対象を組織犯罪4類型から、窃盗、詐欺、恐喝、逮捕監禁、傷害等の一般犯罪を含む広範囲に拡大し、実質的に一般市民を盗聴対象としました。また、通信事業者の立会い義務を外したことで、国家が常時国民を監視できることになりました。
さらに、2017年3月21日には、犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正法が閣議決定されました。
この一連の流れから見えてくるのは、国民が国家から常時監視されていることで、民主的な政治的発言や行動・活動をしにくくする狙いが透けて見えてきます。また、監視社会の徹底化を図る目的で「住民相互の監視システムと密告」装置を構築させようとしています。それが、まさしく「現代版隣組制度」としての「地域共生社会」ではないでしょうか。地域生活課題を我が事・丸ごと関わる住民が「国民」であり、関われない・関わらない人は「非国民」としてあぶり出していく可能性があります。
おわりに…共同の力と繰り出し梯子理論
ウェッブ著『防貧策』(1911年)は、社会福祉領域における公私関係論を論じた歴史的著作と言われています。ウェッブは、「この理論(「繰り出し梯子」理論:extension ladder)のもと、新たな支援方法を常に追求し、困難な事例に対しても愛情に溢れたケアを心がけ、宗教的背景をもつ民間部門が、公的機関だけによって実施される比較的低水準のサービスを上回るサービスを実践・実施することで、結果的に公的サービスにおける健康で文化的な水準を押し上げる効果がある」(Webb, S. & B. [1911] p.252)と指摘しています。この「繰り出し梯子理論」には、現代にも通じる示唆があります。
地域における住民共同の運動・実践が、公的サービス(社会保障やその他の公共サービスも含む)を上回る内容を有することがしばしばあります。この住民共同の運動・実践が、私的サービスを公的サービスに昇華させれる流れが、あたかも繰り出し梯子が伸びるように見えることから、そう命名されました。例えば、介護保険における訪問介護事業は、1956年に長野県で制定された「家庭養護婦派遣事業」を端緒として、その後大阪市など革新自治体に広がり、結果的に1963年老人福祉法12条に「老人家庭奉仕事業」として法定され、2000年施行の介護保険法では、8条2項に明記されました。
また、保育運動においても、同様の状況がありました。1960年代の高度経済成長に伴い女性労働者の増大の中、労働と保育の両立を求めて、「ポストの数ほど保育所を」を合言葉に大きな運度が広がり、結果的に公的保育所(認可保育所等)の増設につながりました。
現在政府が言う「地域共生社会」は、社会保障等の公的サービスを縮小したところに、その代替として地域住民に地域課題解決責任を押し付けるものですし、住民共同の運動・実践とは全く異なるものです。
住民共同の運動・実践は、その目的に公的責任の強化、あるいはその実践を公的制度に押し上げる狙いがありますが、「地域共生社会」は、そもそも公的責任を捨象し住民の自助・共助(助け合い)に変質させることを狙っていることを鑑みれば、ますます住民共同の運動・実践が必要になってきたと言えます。
引用参考文献:
・厚生労働省(2017)「『地域共生社会』の実現に向けて(当面の改革工程)【概要】」、我が事・丸ごと地域共生社会実現本部、2017年2月7日。
・厚生労働省(2016)「地域包括ケアの深化・地域共生社会の実現」、我が事・丸ごと地域共生社会実現本部第一回会合、2016年7月15日。
・政府(2017)「地域包括ケアシステムの強化のための介護保険法等の一部を改正する法律案のポイント」、2017年2月7日。
・Webb, Sidney. & Beatrice. [1911], The Prevention of Destitution, Longmans, Green & Co.